楊斌事件と中朝関係の見方
楊斌は中朝関係冷却重要原因の一つ
2002年1月15日~20日迄、朝鮮労働党総書記金正日は中国共産党中央総書記江澤民の招待に応じて正式に中国の訪問を行います。金正日は上海で四日の参観を行って、彼に非常に深い印象を残させた。彼は北京で江澤民同志と会見する時“中国では特に上海の改革開放を行って以来、発生する天地がひっくり返るような大変化は中国共産党実行の改革開放政策の正確を十分に証明した。”という事を強調された。
結論的に、この時中朝関係は良好な関係に推進しているので、更に一層発展することもできます。
だが、それ以後中朝関係は変化になった。2002年10月4日“朝鮮新義州特別行政区特区長官が中国の警察側に“審問”という理由で持去られた事をはじめ、嘘投資を疑う、賄賂を贈る、契約を騙す、非法的に農用地を占有する経済犯罪活動等、現地の公安機関に正式に逮捕された。この時から、中朝関係は冷却を開始します。
その二、2002年6月朝方は楊斌の要求の下に、2回中国大使館に朝鮮政府は新義州特別行政区の設立と楊斌に行政長官を任せる決策についてのことを知らせた。中国大使館官員は新義州特区を支持すると表示したが、楊斌に行政長官を任せることを賛成しなかった。そして、朝方は他の候補者を考慮する提案を提出された。もし必要が有れば、駐朝使館も朝方に適当な候補者を推薦することが出来ます。朝鮮農芸総局金東奎(朝方首席代表)の紹介に拠って朝鮮外務省人員は中国駐朝使館官員と会談に際しては、若し新義州を支持するならば楊斌を支持しなければならないことを明確したことがあります、楊斌を支持するかどうか中朝友誼に対して1つの試練である。駐朝使館官員はこれらの談話はトップの精神かそれとも個人的な理解かと言う疑問を聞いて、朝鮮外務省人員は“私の今日言うすべての字、すべて将軍を通って許可したので、一部も将軍のもとの話です。”と答えた。
その三、2002年10月4日夜明け方5時15分、楊斌は警察に持去れた。8時ごろ、朝鮮外交人員韓明哲はわれわれとともにオランダ村ハーグ大酒店で朝食していて、これは彼が始めて一人でわれわれと同じテーブルに食事します。彼は“楊特別長官が5時に警察側に持ちされて、6時金将軍は既に其のことを知ったし、新義州に金社長も知った、これは楊総裁に対することではなくわれわれに対することである、これはわれわれが世界の前に顔を大変失った。”と言った。
その四、2002年10月4日、午前10時朝鮮外務省米国局副局長の李根は米国特使のケリーに朝鮮が核兵器を持つことを宣言して、核危機を造りました。
朝鮮方面依然重視楊斌
一、朝鮮駐瀋陽領事は何度も楊斌の親族を伝言して、朝方は楊斌問題の解決を非常に重視されて、朝方は2党と両国政府の間に同じなくランクの会談中、かつて10数回は楊斌の問題を話題にしました。中国側は司法独立不便を理由として関与して回避した。
二、2006年朝鮮駐瀋陽領事館は楊斌の家族を伝言して、金正日は前後4回楊斌がピョンヤンで創立する近代的な農業の基地を視察した。最後一回視察している時、金将軍は涙を流しました。ピョンヤンの近代的な農業の基地は既に朝鮮の近代的な農業の見本と朝鮮の勢力が盛んな大国の精神を発揚する教育の拠点になった。
三、2006年、朝方は新義州鴨緑江大厦(新義州特区のオフィス・ビル)に金正日と楊斌の大きい写真を掛かっています。
四、2006年9月、朝鮮駐スイス外交官はオランダに赴いて楊斌の奥さんの潘朝蓉と会見し、金将軍は非常に関心を持って楊斌の長男を訪ねることを頼まれた、そして朝鮮大学に読書することを招請させて、同時に10万ドルの生活費を贈呈します。
五、楊斌が刑罰を下された後に、かつて数人は朝方に新義州を開発することを出してすべて朝方に拒絶された。
六、朝方は新義州特別行政区に関する4つの重要なファイルは朝鮮最高人民会議が公布したと思って、『朝鮮民主主義人民共和国新義州特別行政区の開発と経営に関する基本的な協定書』、『新義州特別行政区の基本法』、朝鮮内閣は新義州特別行政区の設立についての政令が楊斌行政長官の任命書に対する依然として有効です。
七、アナリストの分析、朝方は何度も楊斌のつかまれる10月4日を利用して、その中国側に対する不満を表現します。同じくこれが偶然の合致だと思っている方もいます。
2002年10月4日、楊斌は警察側に持っていかれて、当日午前10時、朝鮮は核兵器を造ることを宣言します。
世界の大多数の国際問題専門家、記者は、これは朝鮮が米国に対する不満の策略と評論しています。
立場を変えて考えることができるかどうか、これが中国に対して不満を表現したと言われているのですよ。1961年9月10日北京で締結する『中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国の友好合作条約』に拠って、第二条:“契約当事者双方は共にすべての措置をとることを保証し、いかなる国家は契約当事者双方のいかなる一方に対する侵略を防止します。いったん締約の一方はいかなる国家あるいは同盟国の武装の進撃を受けられて、交戦状態にあっている時、締約別の一方が直ちに全力を尽くして軍事及び他の援助を与えるべきだ。”朝鮮は中朝の互いに助け合う条約があって、その国家外部の安全を心配することはない、核兵器を試験するにもおよばない。それが核兵器を造ることを宣言して、世界にその国家の安全が保証できないことを表明したに過ぎない。中朝友好合作条約も保証することが与えられない、信頼できない、つまり、中国は信頼してはいけないのです。
2006年10月4日、朝鮮は核が破裂を試みることを宣言された。
中国の国際問題専門家は、朝鮮の核は破裂を試みる事前に中国側と挨拶していないで、心の中はたいへん不快だと言います。しかしも朝鮮の政治問題評価家の思いは中国の警察側は経済の問題で朝鮮新義州特区長官金正日の義理の息子を逮捕する前にどうして挨拶しませんか?このような方法は確かに朝鮮と金正日が国際上で大きい顔を潰して、両国関係に深刻な影響を与えた。このようにしてから、中朝関係は本当に憂慮させています。
2007年10月4日、南北朝鮮の首脳会談の共同宣言の中で“三方あるいは四方”の字形、同じく中国側に対する不満のことを表現しています。
楊斌の政治態度
楊斌は政治の上では基本的に国を愛しています。
楊斌は子供の頃から南京で育って、お父さんはずっと前に失ったため(中国の軍事工業工場)、母は再婚して遠い他郷へ行った。小学校、中学(高校)、大学は党と国家の関心と育成の下に完成させ、愛国主義教育を受けられた。そのうえ、部隊と軍事学校で生活したこともあります。従って彼は常に「私は長江の水を飲んで成長したので、中国人民の息子です」と言います。
彼は1989年の政治騒動の際、中国に滞在しているのではなくオランダに住んでいます。彼はオランダの民主運動支部主席馬寧が既にグリーンカードを貰った事を聞いたら、早くグリーンカードを貰うように其の同郷の南京人に支部主席は自分に譲ることを求めました。多い活動に参加したことが無い。たくさんの海外留学生は現地国家のグリーンカードをもらうために民主運動に参加することは事実であり、これも理解できます。
彼はオランダで商売していることが主に中国の支持を貰いました。彼は鄧小平同志の改革開放がなくて、彼のオランダ村企業がないと言った。
その二、彼は新義州基本法の起草を参与する時、まずいかなる国家の政治組織は
新義州で活動を行うことを許さない要求を提出され、法輪功活動も決して許さないです。その目的はある人と組織が新義州で中国に対する活動を防止するようにします。
その三、楊斌はかつて中国の国家利益のために貢献をしたことがあります。
その四、今迄、楊斌は中朝友誼の健康な発展のため、続いて貢献しようと表しています。
私の提案:
一、楊斌の現在の生活状況を改善します。
彼は瀋陽刑務所の生活状況がまだよい、併し錦州刑務所へ移動してから生存
状況は急速に悪化した。
二、彼は沈陽オランダ村にある企業、市内は年に一度の定期検査をずっと行わないため、正常な経営活動を展開することができなくて、楊斌は非常に苦悩と悲しみであり、一人の国を愛している外商は瀋陽を支持しように数10億人民元を投資したのですけれども、もうすぐその資金を解体されて、大変不安と理解できないです。中央関連部門は関心を与えるように提案して、楊斌の後顧の憂いを解決します。
三、中央関連部門は人員を派遣して楊斌と面談する提案を提出し、十分に状況を了解して中央指導者の方策を供えます。
4、 以上の情況の反映及び提案はただ個人的な見方、不適当な場所を避けられないで、ご叱正お願いします。
関山 2007年12月7日 北京