三つ目の眼で朝鮮を見る
曹小跟(中国丹東)
丹東か言おう
朝鮮――国際関係における現実的な痛みで、米国、中国、ロシア、日本、韓国及び朝鮮自身にとってもそうである。さもなくば、六カ国会談を行う意味がなくなるであろう。なぜ十六カ国あるいは六十カ国じゃなくて六カ国会談になるのであろうか?鄧小平副首相は生前に何度も出た杭にならないように落ち着いて対応してくださいと後輩を訓戒したが、六カ国会談はいつも北京において行う。誰が中国を出た杭にさせたように強いるのであろうか?内情を了解する要求を出す庶民がいる。
朝鮮は全世界冷戦が終結してから(旧ソ連が解体してすでに13年間になった)残す唯一の「霧都孤児」で、鉄の幕に覆われる神秘的な土地である。彼女は近いのに、非常に遠く感じされる……
両国人とも言える一言は私の家は鴨緑江辺にある。もともとはこ川は中国の千百条の川では無名であったが、運は順に回る諺通りに、1950年秋、全世界の目はすべてこの川に引かれた。中国人は川を越えるかどうか?マッカーサーは信じなかった、トルーマンも半信半疑であったが、連合国軍は統率部の誤り判断と方策のもとで三十八度線を越えて追撃した。その後の事態を事前に予想できるとしたら、トルーマンはきっと連合国軍を三十八度線に超えさせない。金日成は事前に結果を予見するならば、先に三十八度線をも超えない。当時、数百万の志願軍は今日のように歴史が変遷したことを予知するなら、恐らく意気揚々として鴨緑江を越える人はほとんどいないと思う。千年功罪に対しては普通の人は議論する勇気がないけど、百年功罪には一時帰休者として、私が言いたい。
調査したから、私は発言権がある。70万の丹東市市民、240万の全市人は全員が発言権を持っている。民衆は最も自分の目を信じ、毎日朝から夜まで長い列の車隊や有蓋貨車が並べて川を越え、様々な日用品と食品(主に食品)を運んでいった。直接か間接で丹東の数万人は朝鮮に寄りかかってる。都会の人あるいは田舎人に関わらず、もし丹東人に朝鮮のほうはどうって聞いたら、貧しすぎて腹一杯にならなく、国境守備軍パトロールの着装は私達よりずっと悪いよと答える。
私は丹東で50年間ほど生活した、親友も各業種に従事している。10年前に一時帰休者になってから、半分の時間は朝鮮との商売をしている。はじめの2年間は個人で国境貿易をし、それから支配人と新義州に行って、続々と朝鮮各地を回した。都市、農村、山岳地帯、平原、内陸、沿海はすべて行ったことがあり、多い業界と数多くの朝鮮人に接触したこともある。
丹東は遼寧で長期に順位の第7位に経済後進地域である、しかし朝鮮にとって大陸の香港に相当する。夜の新義州は暗くて静かであるが、丹東の河岸はビルは贅沢あり、ネオンサインが空まで明るくする。春夏秋の三季節は河沿いのカラーオーケー店舗や料理店、喫茶店からみだらな音楽は鴨禄江を越えて社会主義の新義州を襲ってくる。物を潤すのは細くて音声がない、20年間余りが経って新義州人は自分と同じ貧しかった丹東が明るく豊かになっていく現況を見てもう待ちたくない。山と川は多すぎる悲しさを我慢できない、「小楼 昨夜 又も東風、回首するに堪えず 月明の中、只だ是れ 朱顔のみ改まりぬ」。変わった朱顔は人の心である。金日成が創建した社会主義の堰はすでに人々の心で倒壊した!
鄧小平副首相は「貧しいのは社会主義でない」と何度も言ったことがある。で、餓死するのがまたどんな主義であろうか?95年春先から99年まで、餓死した人は百でも千でも計算できなく、万で計算する。西方のメディアによると3百万の人が餓死したが、実況は誰もはっきりしない。出てくる元中央書記の黄長烨もはっきり言わなかった。はっきりいえるなら鉄幕と呼ばれない。鉄幕は双方向で、いかなる人に対して信任しない権力独占の本質がどこでもいつでも同じである。中国人が出張した「心に置く」は実は文化の遺産といえる。本題から離れたので餓死事件にもどろう。その期間、冬季列車が村落に近づいた時、飢餓か燃料不足かのため餓死した死体そのまま並べられる状況は丹東列車の乗務員まで見たが、多分やはり燃料不足のためである。プラットホームに年寄りが汽車を間に合うように転んで息が絶えることもよくある。
80年代中期に川両岸の差が明らかに現れた(中国の改革開放のため)。すると、丹東と新義州だけでなく、都市や田舎を問わず全体の鴨緑江(700キロメートル余り)と図們江(400キロメートル余り)の両岸にも引き離した。こちらちょっと変化したらそちらがすぐわかる。こちらの国境一帯には100万余りの朝鮮族が住んでいる、向こうに親戚がいる。港がたくさんあり、友好国家のため、往来ルートも多い。しかし貧富の格差が大きくなるにつれて、国境管理も厳しくなる。
80年代中期、新義州は食糧に欠けて、友好都市(たくさんの東北の都市と朝鮮都市が友好都市となります)として、新義州が米で丹東にトウモロコシを交換するのは普通であった。朝鮮の国境守備軍は川を渡る中国人にライターでもよく、タバコあるいはキャンディを求める人が多かった。このような現象は約10年間続けていた。
1994年7月8日、プロレタリア革命家、傑出の共産主義戦士、忠実なマルクスのレーニン主義者、中国人民の古い友人、偉大な抗日英雄、朝鮮の主体思想の創造者の金日成は亡くなった、この件は歴史の転換点である。1つの時代が終わり、何千何万かの朝鮮人は非常に悲しかった、そして涙でこの時代に句点をかいた。
その後、情勢は急転直下して、人災に天災に遭い、命のために朝方は初めは廃棄鋼鉄で食糧を交換し、後で全体の機械設備を運んできて、多く交換するためにトウモロコシだけを交換した。組織的な行為に明らかである。その次に原木、鉱石、水産物で交換した……。最後、夜に銅、金沙と別のものまで密輸で取引したが、中国が抗議を出した後治めた。同時に飢餓のため逃げる民衆が多くなり、朝鮮国境守備軍は発射や地雷で止めても役立たなかった。
これらの事は国際社会で周知されるが、ただ関内の億万中国人が知らない。中国のメディアは、報道していない。
もちろん、ひそかに中国は厳粛な抗議をしたが、一般的に言えば朝方は中国の抗議を気に入った。それは2002年によそへ逃げた人数が8千に達し、中国と国際社会の圧力で帰った人に銃殺刑にしなくなったが、しかし刑罰を下して毎日1つのトウモロコシ饅頭に骨の折れる仕事をさせて、たくさんの人は何ヶ月に死んでしまった。
関係証拠がある。例えば、難民の主要な通路は図們江長白山一帯(難民が来た後に朝鮮族の同胞に頼って救助をうける)という状況により、公安部は特別支出金で図們市外の高速道路入口側での山の斜面に専用の朝鮮難民中継輸送所(吉林省国境警備本隊が代行し管理する)を建てた。収容所はピンク色の塀がビルの二階半ほど高く、外部からみると、7、8百人を入れることができるが、しかし実際にはいつも千人余りになる。吉林省各地から捕まえた朝鮮難民はすべてここに集中に健康診断、病気治療、審査弁別、学習、特に情報取得を行う。ここでタバコ禁止で、ご飯は腹一杯になれ、聞くところによると品質もまあまあ良く、何といっても中国の最大の国際収容所である。
管理人員の態度が悪くなく、殴るや叱ることもない。インクエスト室につれて、お酒好きの朝鮮男の子がお酒あるなら何も告白する。多くの人は西側諸国や韓国にいくことを望み、もっとも多くの人は中国にいれば、どこに行っても何を従事してもかまわない。送還されることを望む人は一人もいない。彼らの悲惨な境遇が深く管理人員を感動させた。
長期の逃亡したり送還したりする持久戦で、何万人が成功に逃げたが、具体的な数は永遠の謎である。社会学のゴールドバッハの予想になる。
延辺地区とその他の朝族自治県が厳格な政策を実行し、逃亡する貯水池が中継輸送所に変換された。当中継輸送所は社会科学研究に忘却される隅で、もともと何人かの博士を育成できるのに。中継輸送所水が深すぎ、地元の地下組織も韓国人の地下組織もヨーロッパの人権組織背景もあり、中央情報局も混ぜる。当時の抗日戦争での「51番兵站部」や「ホー・チミンの小道」よりずいぶん複雑である。
これに対して中央の高層は怒り、ずっと効き目があるシステム的な策略(私たちの一時帰休者はできる)を作り出せない。朝鮮国境守備軍はお金で買収できる、韓国に日光政策という人道主義の援助がある、中継輸送所は実際には六カ国会談より早い「六カ国会談」で、朝鮮対する和平演変の第2戦場といえる。
韓国商人は出資してそこに多くのカトリック教会を建てて「福音」を伝播する……,韓商工場は朝鮮族だけを採用し、一石二鳥……。
中朝関係は微妙すぎてたいへん複雑である。国際社会は中国の苦衷をあまり理解しない。
朱鎔基総理から温家宝総理まで何度も厳粛に国際社会にわが中国は責任感が強い国とを表明したが、この承諾に『中朝友好協力互助援助条約』(下に『条約』に略称)を含むかどうかわからない。この課題にも博士を育成できる!
『条約』に「両締約は、共同ですべての措置を執りいずれの一方の締約国に対するいかなる国の侵略をも防止する。いずれか一方の締約国がいずれかの国又は同盟国家群から武力攻撃を受けて、それによって戦争状態に陥つたときは他方の締約国は、直ちに全力をあげて軍事上その他の援助を与える。」という項がある。条約の有効期間は20年間で、もしいずれの一方の締約国が修正や中止する場合、満期になる前の半年内に他方の締約国に提出するべきであるが、さもなくば自動に20年間を延期する。そのため『条約』は1981年、また2001年まで二つの二十年を経ち、2021年までずっと有効である。
旧ソ連も1961年にも朝鮮と同様な『条約』を締約したが、ソ連が解体した後ロシアは小部分に改正してから引き続いた。
もし金正日はまた朝鮮と中ロと締結した『条約』に信用できるならば、間違いなく今日の「朝鮮核危機」がない。
マルクス主義は3つの出所があり、朝鮮核危機は4つの出所がある:米国、ロシア、日本と中国。金正日はどうして中ロを信じなくなるか。朝鮮創立は我が国より早いし、前の数十年はなぜ核兵器を開発していなかったか?そしてこの数年、インドもパキスタンも核兵器があるのに、どうして核兵器危機を誘発していないか?朝鮮の核兵器は誰に対応するのか?朝鮮の核と中国は結局どんな関係があるか?中国は顔を出さなければ?鄧小平副首相の出た杭にならない指示は朝鮮核問題で無効になるか?中国は仕方なく顔を出すのか?誰に強いられたか?話せば長くなるので、先に丹東の事を話し終わろう。
丹東は中国で最大の国境都市で、2万数キロメートルの陸上国境で丹東が最大の国境都市になる原因は何であるか?清の晩期にアントン(元の名前)はただ小さい町で、県役所の住所であった。丹東の行政級は一番高くなるのは満州国の時期であり、当時の省都であった。あの時丹東の行政級は新義州より高かったけど、ただの表面現象であった。同様に亡国民であっても待遇は全然違った。日本人は元朝統治方法(モンゴル人、色目人、北人、南人)によって統治し、日本人は1等国民で、朝鮮人は2等国民で、中国人は3等国民であった。あの時一部の中国人はとても朝鮮人をうらやましがり、日本人は彼らを支えたから冬の時に朝鮮人が馬車を追い立てて来て中国人の犬を殴っても、なにも言い出せなかった。このような中国人をいじめたこともある。
たくさんの中国人は朝鮮人を恨んで、彼らを傀儡軍と呼ぶ。もちろん、日本政府の区分管理の政策は根本的な原因である。しかし事実として、丹東と東北の工業化は日本人が入ってから初めたのである。日清戦争で失敗し『馬関条約』を締結した後、日本人が大挙して東北に入って、丹東はその侵略の橋頭堡になった。今の丹東の鴨緑江の上の大橋はすべて当時に日本人が建てたのであり、その一は米国の飛行機に半分くらい爆破されてしまった。パイロットはうまくて朝方の半分だけを爆破した。恥ずかしいけど、もうすぐ100年になったあの橋を今も使用している。当時に丹東鉄道、道路、橋梁、埠頭、電力網、堤防、炭鉱と都市公共設備はすべて日本人が修理したのであり、中国を侵略する陣地として日本人が確かに工夫した。
『馬関条約』に対しては利益角度が異なるため、各方面の評価も逆である。朝鮮半島の双方は一致して平等ではない主権を失い国を辱められる条約と思うが、それからの50年間は朝鮮は1歩ずつ国が滅びられて種類絶滅になった。条約の第1項の決まり:清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する;第2項:清国は、遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に割譲し、該地方にある城塁、兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。日清戦争は朝鮮を奪い合うために行ったのである。丁軍門汝昌、鄧世昌……などの烈士は朝鮮を奪い合うために亡くなった。後輩としての国民は彼らを賛美するが、しかし誰か朝鮮の立場から考慮したことがあるか?朝鮮はただの子羊のように古い主人から条約通りに新しい主人に譲られた。
大風は青萍の末より起こる、朝鮮核危機の源あるいは胚胎は『馬関条約』である!当条約は広く深く長く歴史に影響を与える。中国自身の政治危機と歴史進展にだけでなくその上、全体の東北アジアの情勢走向に対しても決定的な影響を与えた。2000年間続いてきた中国の士大夫の心理にはもともと日本を無視していた、そして恭親王、左宗棠、李鴻章たちが提出した洋務運動も西方を学ぶのであるのに、日本に頭の上で大小便され、士大夫心理が徹底的に強姦された。これは以前のアヘン戦争、英仏連合軍の敗戦に締結したすべての条約よりもっとこころを振動した原因である。
国内に、それ後(15年間以内)「公車上書」、「台湾の抗日戦争」、「小駅練兵」、「戊戌変法」、「義和団」、「8国連合軍」、「同盟会」、孫中山が何度も武装蜂起した、5人の大臣が外国見学した、「立憲用意」、「保路運動」、「武昌武装蜂起」、清朝滅亡まで、歴史が一環ずつ発展しつつある。
『馬関条約』は国際で日露衝突を激化させ、『日露戦争』を招き、そして日英独仏露間の対立も激化させ、中国を分割する欲求を刺激して分割行動を加速した。後継者の米国も「門戸開放」を出し、各種の要素は重ねて影響した。『馬関条約』後で西洋の列強は中国での租界が大量に増加し、ただ米国がひとつもなかった。
条約はまだ発効していないうちに、北京にいる康有為を初め、1700余りの挙人が中国での第1回の学生運動をした。あの時の天安門の前にまだ広場がなく、あの時の挙人達もおとなしくて絶食などを思い出せなかった。彼らは首相各国事務役所に請願し、傍観する群衆と合わせて何万の人に達したので、順応府と九門提督が慌しくなった。あの時まだ労働者民兵がなく、しかし戒厳部隊は反応が速くて道中暴徒の阻止にも遭っていないまま定刻に到着したが、騒動を起こした人たちはすべて天子の弟子で、暴力を振るうかどうか、どれ程度振るうか指示を仰ぐ必要がある。8百里急ぎで報告して、西太后は足底のマッサージをしながら、カーテンを垂れて旗幟鮮明で動乱に反対しなさいと支指示し、寛大に取り扱った。もし考え違いで神機営が康有為たちを殺すならば、あるいは捜査隊に陰で殺すように指示するならば、3年後の『戊戌変法』が行われるかどうかは言いにくくなるだろうか。
悪名を後世に残す袁世凱は朝鮮にて1番早くやり始めたのであり、その後の中国に対する統治の第1歩の基礎を準備した。彼は近代中国の第一任期の志願軍総司令官の呉長慶の随員として朝鮮に行ったのであり、そして急速に頭角をあらわして重用された。彼は朝鮮に合計で12年間ほど滞在していたが、短命な一生でいかなる事よりも長かった。彼の皇帝時代はわずか83日である、彼は朝鮮で国王に鎭撫軍という親軍を訓練したことがあり、また3人の朝鮮の妾(金氏、李氏と呉氏)をめとった。そして唐紹儀などと今後の政治同盟者として知り合いになった。朝鮮での練兵は帰国した後の小駅練兵とは密接な関係がる、そのため朝鮮は北洋軍の揺りかごになり、それとも禍は青萍の末より起こるといっても適切と思う。『馬関条約』は始めて歴史で朝鮮問題を台湾問題と繋がり、しかもずっと今日まで影響している。数年前に中国と北朝鮮の関係が1度悪化になったことも台湾のためである。これは後の話で、台湾問題は逆にまた朝鮮に影響を与えた。
『馬関条約』は丹東を含む遼東半島を割譲する一項がある。もしロシア、法、独三国に阻止されないならば、恐らく丹東人が日本国民になる可能性がある。条約は中国人の運命を朝鮮人の運命をしっかりとつなげた。台湾のように、朝鮮半島にも激しい抵抗が発生した、朝鮮人が大規模に鴨緑江と図們江を越えたのも『馬関条約』が発効した後のことである。
清政府は恥ずかしく感じ、絶えず増えた新しい移住者を黙認した。朝族は今まで200万人余りに達した。『馬関条約』は中華民族の大家族に新しいメンバーを増え、この少数民族で最も優秀な民族の1つで、20世紀に中国革命と密接にかかわる最もよく効力を発揮した最大の少数民族である。当時の黄埔軍事学校で、朝鮮族は少数民族の学生で数が一番多い民族であり、後の抗日戦争にも重大な貢献や犠牲をした。有名な「8の女は江を投げる」中の5人は朝鮮族である。
延辺を例にしよう。民政部門の統計によると、抗日戦争での烈士は3125人いるが、その中で漢族は96人だけいる、同様に日本に併呑された東北地区を朝鮮半島と比較しみると、半島は地域も人口も少ないけど、反抗が遥かに激しく根強く長かった。これは議論する意味がない事実である。
今ころの丹東人がここ数年、お腹いっぱいになったほどのに朝鮮人を軽蔑することはなんか無能に感じさせる。丹東人の私にとって恥ずかしく思う。向こうは勤勉しないではなく、政策が間違っているだけである。
人間は空腹で気が狂う時、生きていけるのは何よりである。「餓死のことは 小にして 節操を失うことは 大なり」というのはただ精華の倫理であるが、凶作は長く続き、お金が持ち出せなくまた交換用のものもない場合、騙すしかできない。朝鮮で最も困難な数年は丹東企業と個人経営者が数千万元の商品を騙された。聞くところによると全国で10数億余りがだまされた。
朝方の心理はとても複雑で、客観の厳しい情勢に迫る同時に中国から借金のお金を求めるこころも持っていた。彼らは中国人のために三十八度線の上でアメリカ人を阻止し、中国の改革開放を護衛すると思う。「私たちが困難に遭う際に自発的に何を出すべきで、私たちに騙されることで出すことじゃない。「なんといっても、林彪同志の東北民主連合軍が最も困難な時、私達の金主席は要求されないまま雪中に炭を送るように自発的に10 万余りの日本軍装備を送って行ったであろう。そして、国軍は南満州の共産党軍隊を攻撃した際、四野部隊に“ホー・チミンの小道”を切り開いき、高官の夫人は療養に朝鮮に退いてきた。特に四野が関内に入った際、援助の要求に応じて金主席は義理堅く全国被服工場が残業するように命じて10万組の綿ゴム靴を作り出してあげたであろう、これら援助をお金で計算したことないであろう?あなた達にいつも言われう抗米援朝は、社会主義大家族の事として、私達の朝鮮のためだけでない。いわゆる朝鮮援助なんかをチャンスにし真っ先に国防現代化(あの時代の標準に基づき)を実現した。あなた達はソ連の飛行機、大砲、戦車を利用して、それにスターリンがヨーロッパでも牽制していたこそやっとアメリカ人との戦争を我慢していたのであるが、実はアメリカとは比べにならない」。
これらの観点が不正なところがあっても朝鮮と言い争う必要がない、鄧小平副首相の論争しないという思想はこの場合に適用すると思う。大国の風格は至る所に体現するべき、しかし丹東人の発言権を剥奪するべきでなく、彼らの主流観点によると、急場を救うのは貧しさを救うよりましである。朝鮮の3つの戦車師の二つも空軍の大半も中国が提供したのである、丹東は人民軍の総後勤部になり、遼河油田の石油輸送管は通して毎年の60万トンで向こうへ提供し、90%の物資は丹東を経由して送付したのである。鉄道の従業員の話によると、列車は向こうにいったらすべて差し押さえられた、何度も返させても返しなかったが、鉄道部がすべての物資は運送を中止すると命じたため、やっと列車を返してきた。丹東から向こうに商売をした私営企業と個人経営者、90%以上の人は騙された経歴がある。ここ数年はちょっと変わった。今双方の国境貿易の99%は朝方の会社が丹東銀行で口座を開いて、銀行からの信用状があるに限り、中国側が品物を発送する。朝方は私営企業がなく、会社はすべて党・政府・軍隊と情報システムの会社である。丹東へ出張に来られるのは幸せに思われ、そして普通人でなければ長い居住ができない。システムの人にかかわらず、丹東に来たら、人並みにカラーオーケーやサウナ、女郎買いなどをする。
アー、新義州
新義州人は中国人に最も常に言う文は「わからない」という江青の口癖である。これは全国で共通する外交事務の紀律であり、公務以外の場合は災いを招く恐れがある。街頭で歩く時、抑えて沈んでいる感じる、太い人はほとんどいなく、大部の人は顔色が暗く着装も暗くて美しくない。街や公園でノンビリぶらぶらしている人は多分私服警官である。
新義州はただ発電所の煙突から煙が出るが、ほとんどすべての工場は作業を止めたが、たとえ発電所としても半分くらいの機械がこわれ、まだ運行しているのも組み合わせたのである。送電線が深刻で老化したため、冬と春が電力不足し、市内のトロリー・バスがすでに何年間に運休している、ピョンヤン以外はバスなんかなく、タクシーは言うまでもなく自転車もない。普通は仕事以外の収入がある又は援助される人だけ自転車を買える。
新義州は平安北道の都で、省都に相当する。全体な生活水準は全国で3位であり、1位は羅先経済区(咸鏡北道で吉林に近い)で、2位はピョンヤンである。後は沿海都市の南浦、元山、清津など、次は中国に近い都市である。農村なら、平原は山岳地帯よりある程度に良い。
軍隊以外、都市農村に関わらず全国で食糧に欠ける。それに耕地不足と気候のため綿を植えられなく、化学繊維工場は原料がない、すると全国的に衣服に欠ける。千百万民衆には飢えと寒さに悩まされている。新義州ではなく、全国でどこでも笑顔を見えない。生活のストレスが重すぎる!ピョンヤンを含み、全国的にも住所が不足である。住所不足状況はどうであるか?95年に全国が経済危機に陥ってから建築業は基本に停止した、特に民間建築、全国を回しても建築現場も見えなく、土で建築した家があるけど、セメントの家がない。上記は衣食住と交通手段の4つの方面の情況である。
朝鮮は社会主義経済の不足を最高段階といえる新しい段階に発展し、このまま発展していけると全面的に崩壊しする。朝鮮に行った後、初めてヤーノシュ・コルナイの『不足の経済学』で言及した不足の現象はまだ本当の不足にならない。彼は店で並ぶ列と人数を不足程度の評価標準とするが、最高の段階になれば列がなく、外貨ショップ以外の店はほとんど何も売らない。油塩醤油酢までも不足であり、落花生、ダイズ、ゴマ、ヒマワリがなければ食用油があるはずがないであろう。食糧用地も不足であるし。朝鮮の両側は海であっても、製塩場がない。そして醤油や酢の原料も食糧なので、作れない。列車に1人の華僑の女性が中国から2枚の大きい袋での空っぽな瓶を持ってきた。彼女に何の用ですかと聞いたら、「恥ずかしいけど、ここには売ってないから」と答えた。好奇心を持ってよく見たら、すべて込み箱から拾った古い飲み物の瓶である。このような事例は普通の現象である。
上述した以外に、ガラスも非常に不足していて、珍しい風景として、たとえピョンヤンでも白のビニールシートに覆われる窓がはたくさんある。
新義州の元名前は義州で、古い都市である。『馬関条約』後で日本人は朝鮮と中国を侵略することに馬力をかけて、第1歩として鉄道を敷設し、1910年9月まで釜山から瀋陽までの鉄道を完成した。そこで丹東に向く河岸は発展したが、遠くない義州は落ちぶれた。新しい鉄道は義州まで遠くないので新義州と呼ばれる。
満州国の時期、丹東の年寄りの話によると、当時の新義州の供給は丹東より良くて物価も安い。日本人は2等の国民を優遇し、双方の税関は同じく日本人が管理するけど、関税は異なった。新義州に行って買い物をする丹東人がいた、実は密輸なので、当時に経済犯と呼ばれ、日本人に捉えらたらいい結局もない。あの時新義州人は丹東人を軽蔑していたが、当然ながら、運は順に回るのように今の新義州人はとても丹東人をうらやましがることは目つきから判断できる。なんといっても彼らには自由が少ない。
中国人が朝鮮に入る場合、望遠鏡、携帯電話はもって入ってはいけない。朝鮮人にどんな贈り物を送っても大丈夫であるが、ラジオは別として高級であっても受ける勇気がないのは、法律違反の行為からである。庶民は外部の放送、映画、テレビ、書籍と雑誌、新聞のすべてとは接触禁止を規定し、文化芸術などの娯楽生活はとても貧しい。人は警戒心を持って互いに信用しない、1人の中年の人あるいは青年とは知り合いになったらいろいろ言ってくれるが、しかし別の朝鮮人がいる場合は言わない。長く付き合ったら、朝鮮人は中国に対する親しみが感じられる。だが、こういう友好はいろいろ意味がある。小さな利益を求めるこころも外の世界に対する好奇心もあるが、主には善良な本質である。本質は彼らはたいへん自重するが、小さなものを求めることは仕方なく貧しすぎるのためである。
新義州駅は朝鮮が長期に国際制裁と封鎖に直面している状態で最も安定する最大の戦略喉である。この大通路はあまりに重要なので、管理体制の面で中国のとは異なっている。中国は海関の商品検査がそれぞれ一定の管理系統に集約するが、朝方は統一的に国家保衛総局が管理する、権力と身分は小さくないであろう。
駅を出なくても「偉大な指導者の金日成主席は永遠に私達といっしょにいます!」や「偉大な指導者の金正日将軍は人間の21世紀の太陽です!」と書いてある壁が見える。このような宣伝スローガンと肖像画は全国で都市から田舎まで(行政村も含む)どこでもあり、この2人の偉大の指導者の存在をどこでもいつでも感じられる。人に中国の文化大革命での赤海洋を連想しやすく、年寄りの話によると、20年前にこの現象がなく、当時はこれを反対して鴨緑江辺で大きいスピーカーを付けて中国に向って放送したのに。
駅の内外で何百か何千かいても、誤差率が5%を上回らないく中国人と朝鮮人を容易に分けられる、服装、太り具合、顔色と精神状態から区別できるため。実は更に重要な違いは内在にあり、20年間余りの改革開放と20年間余りの密封は歴史にとってただの一瞬であるが、人にとっては3分の1の人生、1つの社会にも何代かの運命(鄧小平副首相の改革開放の功績の偉大さは朝鮮で更に感じれられる。ここで彼に深い敬意を表す)にかかわる、特にこの新技術革命、知識経済とグローバル化の波が逆巻く変革時代で、中国は今度のチャンスを捉えたが、朝鮮は今度のチャンスを放棄した。人の内在にある相違点がこれによって現れた。社会を接触するチャンスがないから、観光客としては感じられないかもしれないが、しかし商人であるなら、意識の面にも技術の面にもコミュニケーションが難しく感じる。例えば、双方は建築材料の商売をする場合、先に国際上の建築材料の新しい科学技術や中国国内の建築材料の品種と用途などを先に説明しなければならない。投資項目の場合は、例えば炭鉱を投資するなら、彼らは先進的な設備を聞いたことがないから、当然として見積もりを受け入れない。面倒くさくて時には中世に戻った感じをする。
新義州市内には外国人旅客を対象とするホテルは1軒だけあり、設備が中国の高速道路上のサービスエリアあるいは西部貧困地区の県宿泊所にも及ばない、トイレペーパーも国内で70年代の1角で1巻を買えるグレーざら紙である、そして電力も水もないのは普通の現象である。お茶や日常用品にお湯も提供してくれないのに、料金は怖いほど高い、ツインルームは一日あたり人民元の5、6百が必要で、まったくお金を奪い取るとは区別がない。そして料理も驚くほど高い。それにしても、他の宿泊場所がないので、仕方なく泊まるしかできない。外で住まないことはないが、それは法律を犯す行為であり、庭に私着警官はいつも回している、朝鮮人員と一緒にいなければ外出していけないという規定は江を超えたとたん教えてくれたし、違反すればよくない。(朝鮮で羅津・先鋒経済区以外のところには乞食をするさえ違法であるが、羅津・先鋒経済区内にお金を乞っても違法しない。朝鮮に来てから乞食も自由権ということを始めてわかった。自由市場で何人かの少年はお金を乞うために私を囲んだことあり、いやに感じた。)どうして一人で街へ行ってはいけないか理解できない。スローガンがいっぱいで、建築が古く(80年代前に建てた)、大通りがきれい。普通は新しく行く人に対して監視・管理は厳しいが、長く滞在しているなら、目的でも持たないと見つけて管理もそんなに厳しくなくなる。あまりに厳しく管理するため、丹東商人が交易に来たくなく、観光客さえ少ない。朝鮮に行く中国観光客は圧倒的に多いのは好奇心を持つからであるが、見に行ったら神秘感が消えた上にショッピング場所もないし、交流などしなければ意味がなくなる。しかし中国人は多すぎるので、依然として北朝鮮に旅行に行く人が絶えずに増えていく。それも朝鮮には一つの重要な財源になり、困難な経済に対してとても非常に役が立つ。行く人が多くなるにつれて管理も厳しくなくなっている、そして緩慢にしても朝方も管理方法の改善に努力している。
その後、私に見せたくないものを見てしまった。通りに沿うビルの陰で低くてぼろぼろな貧民窟がいっぱいあり、人はとても多くて集まって何かを雑談していた、自由市場か密輸かの貿易をするのもいた。児童は路地でゲームをしていた、そこの環境は大通りよりずいぶん汚くなく、路地に沿ってゆっくりと歩いて窓の中へ見て、ほとんど何もない家は多数であった。これは社会生活の主体であり、街でのビルはただ貧乏や立後れを覆い隠すため、人に見せるショーウインドーである、ビルの間に白色に塗れた壁はただ人が出入できるほどの隙間がある。ビルといってもよくなく、エレベーター(もともとあってもお金がないので、未修繕)も暖房(普通はない)もない。一番耐えにくいのは寒い冬であり、人も多く冬で死ぬ。
中央の宣伝部はこのような現実を否定しないで、苦難の行軍と呼び、行軍する道が長すぎるだけである。そして苦難の原因を米帝国主義の封鎖と友好国の支援不足に纏めた。
実はこの言い方はなんかちょっと片面と思うが、国際社会の支援は無私で大量である。人道主義と普遍性人権の価値観を持つ米国は援助を阻止しなく努力した。毎年に国際連合食糧農業機関、日本と韓国からの150万トンぐらいの食糧は朝鮮に送られる。もし米国は制裁を加えるならば、この150万トンの食糧はおそらくなくなり、そして結果も想像できなく、また何万人が餓死するかわからない。
一方、友好国は当時の抗米援朝のように半分の力度で朝鮮を支援するならば、苦難の行軍もなくなる。中国中央は毎年に1~10万トンを送り、地方も定量に送る。しかしまだそれにしても足りない。自分の能力によって腕を振るしかできない。例えば国外に武器、麻薬、にせの金銭を売る。
客観的に言うと、中国は確かにちょっとけちくさくて、「鮮血で固まる戦闘の友情」もあるし、手伝う能力もあるのに、非常に多いの人が餓死したのを見ても2千年の友好隣邦としてなぜ雪の中で炭を送らないであろうか。一命を救うことは、七層の仏塔を築くことに勝。仕方がなく、この中で恩讐はとても深い。
新義州の歴史は永遠に一人をしっかり覚える。彼はもともと無名で、中国でたいした人でないが、しかし朝鮮で英雄に尊敬された。出身が貧乏で自身の奮闘によって大金を稼いで、楽に一生を過ごせるのに、彼は苦難の朝鮮民衆のために、刑務所に十数年間を生活する。――楊斌。
私は彼とは知り合わなく彼から1分のお金でももらえないけど、同情のこころを持ち歴史の非情を残念に思う。何人かの万戸侯に悲しみ、中国ではきっとまた司馬遷みたい人が現れ、最後にこの件を解決すると思う。楊斌事件が二回目の朝鮮核危機の導火線の1つであるため。
朝鮮はできるだけ早く苦難行軍を終えるために、繰り返し利害得失をはかって苦痛に思索して、そしてお兄さんに対する信用(ソ連が崩れた後、もとの二番目が一番目に昇進した)により、重大な国策を作り出して全世界に宣言した:新義州特別行政区を創立し、資本主義の経済制度と三権分立の政治体制を実行し、何人かの外国人を行政官吏、司法官と議員を任命する。
この決定は朝鮮半島の平和と未来の統一、東北アジアの平和と国際協力と世界平和に対して重大な作用と影響が発生する。金正日が大きい抵抗力を突き破って政権側の高層元老達に対する説得に工夫した。彼を総書記に推戴されるのは功労があった、古い思想を持ってる固い元老達を新思想を受けさせることは、想像できないほど難しかった。
しかし朝鮮民衆が望んでいるうちに、ある人は陰で1刀を突いて、任命させる地方官、閣僚級の幹部はピョンヤン人民大会堂で就任式典を行い終わったばかり、数日後で遼寧省で2人の警官に引っ張っていかれた。中国はどうかしたか?気が狂ったか?虐めじゃないか?典型的な大国主義である!米国が任命した人なら、またつかむか?犯人に決めるのに米国に持ちかれる人が少ないか?日本まで要求される人も譲ったじゃないか?と朝鮮は驚いた。
楊斌事件は朝鮮で巨大な震動を引き起こして、深く2000万余りの朝鮮民衆の感情を傷つけた。彼らは中国政府に対して非常にがっかりして恨んでいる。楊斌がピョンヤン大会堂を出てから、個人の運命が朝鮮民衆の尊厳、国家内政、歴史方向及び東北アジア国際風雲変化とは密接に繋がった。お兄さんは乱暴に朝鮮の内政に干渉し、周恩来が最も早く出した平和共存五原則を踏みつけた。これらはやはり見える一面であるが、見えないのはこころ、まずは朝鮮民衆の心である、これから信じられるか、変わったらいかなる相談する余地もなく。
30年間内(1950~1980)に周囲の陸上隣国(ソ連、インド、ベトナム、ミャンマー、南朝鮮)をほとんど衝突したが、衝突しなかった国(ラオス、タイ、カンボジア、インドネシア、マレーシア)にも内政に干渉した。改革開放後で総デザイナーの主宰下で、長い苦しさや努力を経てやっとイメージを修正したのに、見られているうちに乱暴にするなら以前の努力は無駄になったであろうか。
楊斌をつかむのはアメリカ人にへつらうためであるか?朝方は仕方なくそう思い、しかし米国はつかませていないのに、それとも米国が朝鮮に対する制裁と封鎖に協力するためであるか?そうともいえなく、最後の可能性は特区の行政という2字にある、恐らく行政が独裁を取って代わるのため、どうしても兄弟を注意したいということであろう。しかし中国の周辺の2万余キロメートルほとんどすべて「行政」した、自分の香港、台湾さえ「行政」した、「三つの代表」後で「行政」に大きなステップを進んだ。どうして高官は好き勝手にふるまって庶民は自由を許されないか?この言い方も実はパスできない。
口は心で思っている通りに言ってはいけない、楊斌はちょうどつかまれたら、朝鮮の中央特使はすぐ北京に飛んできて人または理由を求める。場を救うは火事を消す如し、新義州の劇はちょうど開始したばかり、しかし主役は瀋陽でつかまれた。人を渡すことはしなく、理由を一つ提出した、それは楊斌は経済問題で、特区長官かどうかを問わず刑事犯罪をしたのである。この理由に半信半疑に思い、ただ独りの楊斌のために人を騙す必要があるか再審、再思考した。この時に中南海の1人の大人物は命令を下し、国務院は中央政府の公文書を出して、国有企業が新義州に投資することを禁止する。今回は真相が明らかになった。なぞの答えはもとはここにある。
楊斌を掴むことは 「シルクロード」をきっちりと塞いだが、朝鮮は生き延びようとして発展の出口はどこにあるか?心の打撃はあまりに重くて、まるで血を流す傷口である、そして人におされて断崖に着いたようである。雪は冬雲を押さえ綿が飛び、高天滾滾寒流がせっかち、せっぱ詰まれて王成を学んで破壊筒を弾き再度に核の実験を起動するしかできない。勇者は勝つ。そのため中米の両国のはさみ打ちの下で、東方が赤く、太陽が上がり、朝鮮は原子力を開発し、朝鮮の核危機が起こった。
不安定の乱れ社会において、英雄は能力を活かす。金正日は手段がうまい。実は彼は別の選択があり、台湾に倒れることもできるが、台湾に倒れなかったことからその度量が狭くないと判断できる。倒れる勇気がない、又は倒れられないではなく、ウサギさえせっかちになったら人を噛む、そして金正日は1匹の小さいウサギではないし。彼が強引な国家を率いて理由なく人を噛むということでなく、仕方なく危険を挑戦する。米国の長期の高圧の下でこの民族はへこたれなく、屈服しなく、依然として高く頭を上げている!彼らは過去の50年間に日本に押さえられたの侵略史(この解けない結び目が今なお韓国さえ解いていません)をしっかり覚えて、他国と喧嘩する暇がない。彼らはこころから米国を敵にしたくなく、そして国力の弱さもよく知っている。
核兵器を起動するか?原子爆弾は面白いか?これは鉄道遊撃隊員の懐に隠す爆弾でなく、共倒れになる最後の命懸けである。
この腕前はお兄さんを慌てさせた。怒ってるのに我慢しなければならない。この際、公開にうれしく思う人がい、楊斌事件が中朝の間での仲間割れと思う人もいる。
しかし事態が急速に朝鮮のわがままに進展している時四代目の指導グループ(政治の舞台に上がったばかり)は突然に目覚めて鄧小平副首相の「出た杭にならないで」の教えを放棄して、出すべきの場合はあたふたと九州に突進するのように出した。ここの九州は六カ国会談であり、(交代する前に)作り出した朝鮮を制裁する中央文書(すなわち、国有企業が朝鮮に投資しないこと)は前任が残す「既定の方針によって実行する」を考えていられない。
当然として中国側はせっかちにった、原子爆弾の「馬頭琴の流れる婉曲」はの日本人は広島と長崎で聞いたことがあり、本当に恐ろしすぎる。このため、領土を占領するなら領土から出たら解ける状況と異なり(中英の間、中ポルトガルの間、法越の間の多い事例のように)、日本は米国と永遠に解けない結び目を結んだ。解けない結びについて、米国はわからないはずがない。それにしても、今なお日本に駐留するのが中ロを監視するだけでなく、日本をもおさえている、おさえなければ、復活する軍国主義は中国が抵抗できない。朝鮮の核開発に対して、日本の反応が速くて、直ちに強烈な抗議を出し、防衛庁長官は原子爆弾なら、わが国が一晩さえあれば作れると叫んだが、これは事実である。実は防衛長官はアメリカ人が私達につくらせないという後半の文を言い出していない。日本は事によせて自分の真意を述べるので、朝鮮核危機がなければ日本は原子爆弾を作らないか?朝鮮の核事件を利用して大げさに言い立てて、そしてすでに点を得たが、実はこの中で中国のお陰もある。日本も朝鮮だけに威力を見せるだけでなく、中にいろんな意味がある。
行政特区は新義州で創立するのはべつにお兄さんを傷つけるこころがなく、お兄さんの現在、中国側との差は大きくなっていき、より開放的でより優待的な政策を採用しなければ追いつけないが、どのようにすればよろしいか?香港のような一国二制度のモードだけあり、自分で提出した政策でないけど、取り入れて学べば?しかし、どこに使うか西のほうの新義州は最も適当であり、交通も便利の上に日偽時期に江口の大鶏島のそばに大きな港を設計したことがある。今、便利のため自由港にし、古い山河を片付けることもお兄さんの沿海開放の良い経験を学ぶのである。経緯はこの通りに簡単であり、また長期の孤立した状態から抜け出すことをあらわす意味もある。別のこと(例えば中国の内政と資金配分に対する影響)は考えなかった。金正日はもともとイラク戦争の前にカダフィの今の役を演じるつもりであったのに、お兄さんに足掛けされたことを思い付かなかった。頭は急いで変わって、乱暴な女に演じ代わった。
1970年に中国の1度の小さいボールより大きなボールを動かす外交ゲームは成功したが、30数年後の今日、朝鮮も小さいボールの原子爆弾により大きなボールを動かした。
朝鮮核危機がなければ、同時に6つの国家の代表は一軒の会議室に集まる可能性がないかもしえなく、本当に災いと福は互いに頼る。
これは東北アジア国際平和と協力に関する理事会であり、理事長としての米国は最大の株を持っても制御できない、副理事長としての朝鮮は主役であっても最小の株を持つ。次の順は中国、ロシア、日本、韓国。
国家間の複雑な関係は数学の配列・組合せに相当し、歴史と現実での恩讐は切れなく、整理しにくく、困る。
これらの国家間、戦争しあったことがあるのは下記の通りである。(5点は満点)
中米の間(8国連合軍、抗米援朝、ベトナムを援助する抗美)、中日の間(日清戦争、抗日戦争)、中露の間、中韓の間。すなわち、朝鮮以外にすべて戦ったことがある(4点)。日露の間、日米の間、日朝の間、日韓の間、日中の間はすべて戦ったことがある(5分)。米ロ(冷戦)、米日、米朝、米中(4分)。露米、露日、露中(3分)。朝米、朝日、南北朝鮮(3分)。南北朝鮮、韓中、韓日(3分)。
現在、朝鮮は米、日両国と外交関係がない。
現在まだ領土紛糾がある国家:中日の間(釣魚島);露日の間(北方四島)、韓日の間(独島あるいは竹島と呼ぶ)。
現在まだ同盟関係がある国家:中朝;露朝;米日;米韓。
現在まだ重大な戦略利益の衝突がある国家:中米の台湾問題;露米のNATOの東への拡張の問題;露日の領土紛糾問題;南北朝鮮の異なる制度の問題。
現在深刻に対抗状態にあるのは朝鮮と米国、日本でり、主には米朝間の対抗である、米国は朝鮮を邪悪な枢軸国に決めて、滅亡を目指して崩れに工夫する。
しかし米国はどうしてイラクに対応するように連合国から離れて単独で着手しないか?国際戦略、外交策略、地区利益、民主的な価値観、政策決定方式、多数の同盟国の態度、様々な要素に制約されるからである。米国は何回も戦争のわめきを出したけど、朝鮮国内は戦争を準備する気象が少しもない(この腕前の金正日は将軍の風格があるといえる)。金正日が弾き鳴らすのは共倒れになる破壊筒からである。誰が先に焦るであろうか、生死の岩頭に立てば何も怖くない。確かに他の5国はせっかちになり、六カ国会談を行った。
初めの際、せっかちの人もいれば落ち着いて突発事態に対処する人もいる。しかし米国が朝鮮を脅かして制裁を加えると言ったら、朝鮮は制裁と戦争は同じと回答した。結局は脅かしは脅かしでなく、怒らせた。この意味は先に着手すると言うので、これ1までになったし、誰も落ち着けなくなる。
実際には朝鮮は『義勇軍行進曲』を歌いながら核危険を対応するのである。朝鮮の核危機に対処します。しかし国内の社会では反応はあまりなくて、お金持ちは酒食遊楽にふけ、貧乏な人たちは依然として生活必需品のために心配する。比べて見れば、アジアの金融危機の時に、韓国は国を挙げて国家の金融を救うためにすべて動き出して、児童さえ自分のお年玉を取り出した。どうしてサッカー、囲碁、自動車、携帯電話、カラーテレビ、アニメーション、ドラマ……すべて人に及ばない原因はここにある。
朝鮮の核危機は私達に与える影響は新義州特区を建ててちょっと「行政」をすることより危害が100倍ほど大きい。中国は二つの選択の統一に直面して、必ず兼ねられなければならない。二つの選択は、一つは米国、絶対に傷ついてはいけない。改革開放は山に登るように確かに好転の気配があるが、しかしただ中腹に着いて山頂までとても遠い。米国と一回でも熱戦あるいは冷戦をすれば根本的な利益に合わなく、熱戦も最後に失敗するに決まる。何といっても総合的国力の差が大きすぎる。冷戦なら、復興の時間を遅らせ、わが国にとってはもう遅らせる時間がない。平気で無視したらどうなるであろうか。それでも駄目で、平和で解決しなければならない。朝米がいったん戦ったら、キット中国を戦争に巻き込み、少なくてもある程度の影響を与える。
朝米は戦ったら、核兵器を使うかどうかは後の話にし、通常戦争も最後に朝方の失敗に間違いない。これ以上分析する必要がない。ただ中国を巻き込む問題及びその怖い結果をめぐて話そう。
一、大量の難民はうしおのように東北にどっと入る、それは中南海を囲む件より100倍か1000倍多く、瀋陽軍管区のすべての兵を派遣しても役に立たない。1200キロメートル余りの中朝の境は封鎖できない、武装警察、民兵をさらに加えても無理である。国際条約も署名した責任を負う大国として、難民に対しても銃を打つことができない。1950年の朝鮮戦争の時期にたくさんの難民を受け入れた先例がある。
二、血縁関係のため、国内の国境地区の100数万朝鮮族は必然的に応援する。応援させなければすぐ国内の動乱になる可能性がある。郷・鎮以上の行政区内は多民族が混在し複雑であるため、安定的にしたくてもできない。
三、米国の空爆攻撃は必然的にこちらを経由して飛ぶに決まる、なぜかと言うと朝鮮は国境から20キロメートル以内のところでいくつかの空港を建てた。たくさんのミサイル基地も洞穴にあり、ユーゴスラビア連邦の中国大使館だけに役に立つ。
朝鮮人民軍の高射砲、ミサイル、戦闘機は必然的に激しく反撃し、米国の飛行機は打撃を避けるため、スピードも速すぎるし、20キロメートルなら1分過ぎで中国境界内に着ける、特に飛行機は朝鮮上空から落ちて中国国内に降りれば、中国を反対する米国人に言われたら、どのように解釈してもぜんぜん役に立たない。それにパイロットはこちらに降りて捕まれば、朝方に渡すかどうかという問題も困る。以前は何度も機会があったのに、公使館が潰された場合も王偉が殴られた場合もすべて我慢していたが、今度はどうしようか。朝方に渡さなければ、当時に八路軍が米国のパイロットを援護したように米国に渡すか。それに人民軍は敗戦して江を超えて来るならどうする。止めたら朝鮮と戦い、許すなら米国と対立する関係になる。以上の問題だけでなく、負傷者に対してとうするか。受付するなら、「ストーブので火がきらきらと金色の光、負傷者にニワトリのスープを煮る」という人道主義になる。傷を完全に治した後にまた前線に戻らせるか?人道主義を負う権力だけあり、取り押さえる国際刑事警察という権力がない。戻らせるなら、米軍にとってはまた「第3者の介入」に変更し、攻撃られるカも知れない。
四、『中朝友好協力互助援助条約』の決まりによって、朝米の双方は着手したら、誰が先に戦うにかかわらず、全力を尽くし直ちに参戦しなければならない、必然的にすべての軍事の力(原子爆弾、水素爆弾)を含む……。米国はこの条約を知っている、しかも露朝の間が同じ条約があることも知っているなのに、自発的に朝鮮を強制する原因はなんであろう?まず、朝鮮は経済が崩れた、それにストレスを与えるなら、政権も倒す;次は、中露は自身の現状に精一杯で、朝米の間の事に干渉しない;そして、中露は一国さえ戦争に積極しなければ米国は手をつけられる。George Walker Bushは利を取れる可能性もあるし、中国の巻き込みには恐くない。彼は理想のために勇敢に前進しようとし、冷戦後何枚かのドミノが残し外部から肝心な箇所が一回打撃されたら全てか一部か倒壊することもよく知っている。朝鮮はただ中国の1つの衛星国であり、中国は朝鮮の軸心である。先に分散し孤立している敵を戦い、更に集中の強大な敵を侵攻する原則に従って、そして1999年の戦わず勝ちた経験と利益分析を考慮して、朝鮮を相手にした。これは米国の珠算である。
五、中級職名を取得した一時帰休者として、米国とGeorge Walker Bushが間違ったと思う。George Walker Bushは中国にも朝鮮にもよく知っていなく、了解したのは三代目(子供が米国に留学したことがある)の何人だけである。13億の中国人は160年余りの屈辱の歴史環境で形成した伝統は、民衆で米国に反対する意識が強く、この火山はいったん爆発したら、半分のアジアの巨大な災難だけでなくて米国の災難も招く。ナポレオンの予言は現実になる。朝鮮の災禍はいったん中国に影響を与えたら、きっと周辺の大多数の国家まで拡散し、人類に第三次世界大戦に相当する結果をもたらす。これはわざと人をびっくりさせるのではなく、東北まで戦争に巻き込まれるなら、きっとドミノのような連鎖の効果を誘発する。東北は中国で最も不安定な地区で、一時帰休者は最も多くて、社会治安は最も乱れる。たくさんの潜在要素はすべてアクティブになったら、外部混乱が内部混乱に変わり、そしてたくさんの東北人は関内へ逃亡し、華北も乱れる。この時新疆、チベット、青海、甘粛の元からある不安定な要素は全て爆発して、台湾は機会に乗じて波風を起こし、香港とマカオ、広州、深センなども東南部互いに守る、こうなると、望みがある中国、望みがない中国になる。
六、中国は滅亡したら、George Walker Bushも死ぬまで遠くなく、火遊びのため陪葬する。米国をはじめ、中国で投資した何千億のドルも陪葬する、逃げられない百万の在中の外国人もすべて血生臭い大虐殺に遭う。原因はとても簡単で、中国の有限な戒厳令部隊が天安門の前に起こった大学生騒動には絶対に問題ないけど、13億人なら制御できなくなる。本来なら中国の社会では李自成、黄巣、楊秀清、朱元璋のような英雄は非常に多い、同時に失業した大学生もいる、当時の義和団と違ってこれらの大学生などは教育を受け技術などもよくわかるし、当時の破壊力に比べてずっと大きいである。なぜかというと、根本的な原因は20年余りの改革開放が中国人のこころを直して、儒学の思想が打倒された後で、またマルクス・レーニン主義、毛沢東主席思想も放棄した、孔子以外に何も信仰しない、両極分化もとても深刻であり、1人のお金持ちが生まれる同時に99人の貧乏人に伴う、億万の人は道がなくて、望みがなくて、機会がなくて、精神支えがない、道徳と理想に不足し、ただ不満な心だけが残る。億万の人は中国がどこに向くか知らないで、海で1隻の破れた船が漂っているようで、汚職腐敗や不公正現象はどこでもある。論争しない本質は政府の行為での偽者を評論することを許さない。20数年来私達は砂浜の上でピラミッドのような建物を建築したが、実際にはいつか点火される柴である。憎らしいGeorge Walker Bushは目前の功利を求めて革命輸出の方法で「行政」を「一区切りをヨーロッパに失い、一区切りは米を贈り、一区切りは中国に返す」のように行うが、しかしその後の結果は自分をハーグの国際法廷に送り届けるのである。ここで宣言したいのは、George Walker Bushを捨てるのは米国の人民と国際社会でである。彼は当時のルーズベルトの腕前がない。
今、次の問題を話す:もし米朝は開戦するならば、朝鮮の総合国力、軍事戦略、社会構造が戦争過程に対する作用と影響。
金正日は政権を握ってから、国内外の情勢から総合に考慮し、特に国内の経済が悪化した後に施政で更に「軍事が第1」を強調する、すなわち、全国のすべての仕事は軍事を中心にして、全国の要塞化と全軍の幹部化などの本質内容がある軍隊建設を実行する、いつも戦争を準備している。その本質は万能主義、全体社会と計画経済に基づく軍国主義である。これは中国の「経済建設を中心とする」とは鮮明な対比にある。実はすべてのすべては防御のためである。今後の事態の発展は金正日がとても先々まで見通したと証明した。「人の意志によって変わらなく、この騒ぎはいつかきっと来、国内外の要素の結合の産物である」と金正日はすでに今日の核危機に必要な準備をした。
金正日はとても米国を了解し、己を知り相手を知ることをやり遂げ、共倒れになって善悪共に滅びるの状況で、米国はようやく朝鮮を扼殺することを取り除く、朝鮮はようやく生存を求められる。逆にGeorge Walker Bushは金正日をも朝鮮をも了解しない。
軍事が第1とはなんであるか?朝鮮の凶作が最も深刻な時、何人かの元老とその他の指導者は軍備の食糧で倉をつけて救済することを出したら、金正日はすぐ否定した:駄目で、戦争する時は使える。
全国の要塞化とはなんであるか?これは1つの巨大なシステム工学である。
第1線は三十八度線の近くの数十キロメートルの幅がある日本海から黄海までの「馬其諾防御線」である。当時の中国志願軍の坑道をもとに数十年ほど建造することでネットのような地下長城を形成したが、地面の上でトーチカ、戦車の堀、地雷区であり、板門店へ見学する道中に地面の施設が見える。特に板門店から東北方向へ日本海まで延びる山岳地帯で、忘れられない上甘嶺はそこにある。50年前に1万余りの中国青年の生命はそこで葬り去った。1本の大河の波浪の寛、風吹くイネの花の香りの両岸という有名な愛国曲は上甘嶺の坑道に無数な中国、米国、韓国の青年の死体を吹き、西へ、更に西へ、中朝の国境を越えた後、中国大地に50年ほど歌われている。
第2の防御線はピョンヤンと周囲の山地である、ピョンヤンの地下鉄は北京の地下鉄より1倍ほど深いのは工事の地質のためでなくて戦争のためである。全体の都市は1つの巨大な立体の要塞を形成する。市街区で一部の大通りは通行を禁止するが、特別な通行許可証がなければ通れない、近郊地区と市街区の間も歩哨所があって通行許可証を検査する。新義州からピョンヤンまで約260キロメートルの道中に10数の検問所があり自動小銃を持つ正規軍が守る。その他の道路でも同様であり、通行証がなければどこへもいけない。これは外国人でなく、本国の住民に対する規定である。列車の切符を買っても証明が必要であるし、だから多くの人にとって旅行する自由がない。
第3の防御線は最も重要で、党国の生命線であり、つまり長白山脈から朝鮮の境界内に延びる大きな山岳地帯である。党国にとってこの作戦区域をしっかり守るさえすれば、全国を取り戻すことができ、そして50年前の歴史的な経験はすでに証明した。当時の志願軍の第1戦役、第2戦役ともにこの地区で勝利し、中国民衆は黄草ling、三所里、竜源里など輝かしい記憶を残っている。アメリカ人は現在の戦争手段ではまだ思いどおりに戦火をここで消すことができないとよくわかる。
朝鮮はアフガニスタンのタリバーンでなくてイラクのサダムでもなく、違いが多いが、最も重要なのはその社会組織の「全国の要塞化」であり、つまり朝鮮式の「政教一致」の型の社会組織と構造である。
農村で依然として保甲制式の兵民統一型生産協同組合で管理する、戦ったら米国の兵隊を人民戦争の海の中に埋葬する。党の、団の、政治の、生産管理の、民兵組織のそれぞれのシステムは互いに交差して全村の集団投降を牽制する。都市で人は部門に属する人で、全家族(奥さんと子供)の食糧証明はすべて部門から半月か一ヶ月当たり発給し、部門に属しない場合は全家族は食糧がない。工場や企業は作業が中止しているにもかかわらず、人員も部門へ学習や食糧を取りに行くこと(部門がハクサイやサツマイモなどを分配するのを見たことがある)。だから部門は戦う組織になり、たくさんの企業の入り口は自動小銃を持つ国民自衛隊がい、鴨緑江辺から見える。聞くところによると全国に60万の自衛隊(生産しない)と120万正規軍がある。こうなると、全国は実際に大きい兵営であり、民衆は徹底的に党国という軍事用車両の上に縛られて一生を献身する。すべてを党に捧げるのは存在の最高で唯一の神聖な使命である。どの立場から見てもあなたの今、過去と未来を代表するのである;そしてあなたの根本的な利益、先進的な文化と発展の方向を代表する。“死ぬは決まり、しかし意義が異なる。中国で司馬遷という人は鴻毛より軽い又は泰山より重いと言ったように党と「慈愛深い父みたい指導者」のために死ぬなら、泰山より重い。生命は確かに貴くて、愛情の価格はもっと高くて、党国のために死ぬなら、両方とも捨てる。そのため、どんなに苦難の場所であっても、一人さえまだいるなら、この人は最後まで戦う。
全軍幹部化とは何であるか?各戦士に班長さんの標準通りに訓練することを要求し、必要な場合は軍備拡張ができる。もっとも重要なのは、たくさんの中間層、下部の幹部の腕で永遠に誓いの言葉を刻んでいる。「軍隊の勝てて、変質しない」を保障するために明らかに党衛軍が存在する。同時に、いつも戦えば必ず勝つ主体思想は万歳!のようなスローガンが見える。
要するに、この朝米戦争がいったん始めたら、ひどく痛ましい末に決まる。ホワイトハウスとペンタゴンで賢い人がかなりいるので、掛け声ばかり大きくて実行が伴わないで2年間騒いでいて戦争や制裁の双方とも硬くなかった。
更に韓国の角度から朝鮮核危機を見よう。韓国はアジアニーズの中で一番上で、総合的国力は一番である。経済がテークオフする根本的な原因は冷戦であり、朝鮮民族の小さい分は冷戦の最大被害者で、その他の一部は最大受益者である。1つの民族は50年くらいの冷戦史でこのような情況が現れるのは、全世界でも唯一といえる。50年来は韓国市場と米国市場はずっと連接しているが、各種の経済援助や米軍の保護は軍事費の支払いを減らすことは言うまでもなく、何万人の駐屯だけの収入では文学的数字である。もし私達の遼寧省は毎年10万米軍が駐留するならば、一時帰休の問題や古い工業基地の問題はすらすらと解決できる。もちろん、彼らが来ない、こっちのほうも絶対に許可しない。数年来は日本が韓国に対する支持も無視できなく、それに50年間の植民地統治により築いた工業基礎と歴史伝統などの多種な要素のため、韓国は1人当たりGDP10000ドルのレベルに達したのである。ヘーゲルは偉大な歴史人物と偉大な歴史事件はいつも2度と、一回は悲劇とし、もう一回は喜劇として現れる。朝鮮民族が50年間の冷戦時代で経験した悲喜劇は、再度にヘーゲルの言葉を実証した。朝鮮半島と朝鮮民族にとって、米、日、ロシア、中の4つの列強はこの悲喜劇の映画監督と主要な役者であり、平和な方式でできるだけ早く朝鮮核危機を解決することは正解である。
韓国民衆はいかなる人が平和な方式で朝鮮核危機を解決することを決して賛成しない。民族自決権は上世紀の初め、米国の徳望ある古い大統領のウィルソンから提出し、次第に普遍的な価値観になる。私は米国がの理知で落ち着いて朝鮮核危機をうまく処理することをかたく信じる。
平壤
汽車が定刻に平壤に到着すれば、お客の人々に楽になれるようにさせ、朝鮮のような汽車遅刻は、世界でも珍しいから。鉄道は厳重に老化してあり、腎臓病気総合症にかかるように、多い枕木は真ん中で切ったり割ったりして、レールも変更される必要があり、電気機関車もなかなか古く、給電線路は老化にて厳しく漏電し、国民経済用の重要交通要路はよく大変で、根源をつきとめると、鉄鋼、建築材料、電力工業は全く駄目である。前で述べた通り、紡織、化学工業、軽工、食品、建築材料、電力等の工業は全く駄目だから、下で具体的に各業種が崩れた原因を分析しない。
平壤は非常に奇麗な都市、大同江及び支流は市の中心を通じ、いくつか湖を形成してあり、大同江は長白山奥より出てきて、黄海までただ40キロとなり、海風は吹いてくることができ、四季には空気が非常に奇麗なので、国連関連機関に最も人類居住に適合する都市と評判されている。また、汚染が無く、発電工場の以外、煙出る煙突がない。川・湖の水面で、小さい群の野鴨・海鳥をいつも見え、この場面について、小都市・農村で確かに見えない。一つ強くはっきり差別印象を形成してあり、農村で、鶏、豚、牛、馬、羊、犬、鴨、鵞鳥等の家畜・家禽を見えるのが難しい、鳥を見えるのも難しい、僅か一つ解釈があり、即ち、家で飼養する場合、飼料がなく、野生のは全部で掴まれ食い切り、野鼠また野兎でも見えなくなる。でも、平壤でかなり違い、90年代までのビルはずらりと並び、町はとても奇麗で、高い所へ登り遠い所を望むと、西部・北部に遠くない丘は半環状となり大同江一隅にある平壤市を巡り、四季の風景はそれぞれ違う。平壤の建筑は古いが、大都市の気勢を以前の通り持ち、昔の輝かしさを現している。平壤人口は予測で100万ほど、但し、道が広く、建筑間の距離は広いので、人が多くならない、週末にも人が多くない。
平壤は、朝鮮戦争休戦後の廃墟で建てられてきたんで、その時、ソ連専門家により都市企画を作った上、金日成時代の強烈標記を残した。多い高く雄壮で民族特色ある建筑は、星や碁石のように市内各地に分布され、彼の最も良い記念碑となっている。集まっている大型体育場が十数個あり、平日の使用率は非常に低く、ひっそりしがらんとするように感じさせ、かなり浪費された。
ほとんど平壤に着く全ての外国人が必ずやる第一番の用事につき、市の中心にある一つ小さく高い所で聳えている巨大な金日成塑像へ花を奉げ黙祷し、これがおきまりの勤めであり、よく強制され、逆に、この国に来くことは禁止される。ただこの件により、お客はすぐこの国が誰に属するのか、国の性質がどんな種類であるのかと分かれるようになる。
平壤で、いくつか現象は皆へ深刻な印象を残した。多く若く奇麗な女性交通警察は、道の中に立ち勤務し、美しいな風景を残し、お店、料理屋、ホテル等サービス関係の業種で、奇麗な女性は集まってあり、政府がかなりイメージを重んじ、表面的なことが好きだと映している。もう一つ現象に関して、公務的な接触(例えばお店で販売者との)の以外に、人が笑い、たとえ悩む人が笑ってもと見えるのは難しい。大部分の企業は生産を止めたが、町にいる人たちはあたふたとして、ゆったりする人が極に少ない、道にある車はとても少ない、自転車も多くない、大部分の人は徒歩している。来たばかりの人の感覚により、ここで社会生活の各方面は、かなり簡単であるらしい、町に新聞屋、新聞読み欄、明らかな公衆トイレ、駐車場、飲物のお店、ゴミ箱などがない、至る所には都市があるべきいかなる賑やかさがない、全然沈黙的な社会である。ガソリン・電気が乏しいので、バスがとても少ない、地下鉄も時間により発車し、ラッシュアワーの時、バス駅の中に、量の多いバスを待つ人は集まり、特に冬季の夜には、寒い風の中に黒山の人群は真面目で厳しい、薄く古い冬季衣服を着て、寒さを恐れないらしい、太い人が少ない、普段着を着ても痩せるらしい。普遍的に営養不足となっている。
司局長級幹部の場合、毎月の収入は大体三、四千朝鮮ドル、国家より規定するレートにより、1元は17朝鮮ドルに対するけど、やみ市で1対100-130となり、即ち、司長の場合、毎月の收入は30-40元となる。計画内の供応により、物価はびっくりさせるように低く、だが、供応の量は足りなく或は全然貨物がない、例えば、糧食に関しては、機関幹部の場合毎月14キロとなり、その他利益のない場合に、一般的に生活できなくなり、足りない分部を個人で農産物取引市場へ補充するように買い、これは本当に改革開放の新しく出たことであり、近く一、二年間で合法的になった。90%のものは中国より輸出されるから、物価は中国より一、二割り高くなることが当たり前だ。だから、利益のない機関司長の場合、生活状況を考えると分かる。
但し、普遍的で貧しい状態には、二つ相対的に豊かな階層がいる。一、外貨を持つ階層について、海外に400万人の朝鮮同胞・外籍朝鮮人がいるが、中国には約200万人ほど、日本には七・八十万、米国とカナダにはそれぞれ二・三十万人、その他は世界各地に散在してあり、年に、彼らより国内へ送るお金は、韓国より朝鮮親族への支援を加え、相当な外貨となり、もちろん、これも間接的に政権を支える。中国華僑の境遇は普遍的で明らかに良い、前数年の最困難の時、平壤で人民軍軍官が夜で銃を持ち室内に入り華僑を強奪した悪性事件は数回発生してしまい、他所でこんな事件は更に多かったが、そのため、中国大使館は数回交渉を唱えた。別の話しにつき、中国使館の後方勤務供応は、丹東市外事事務室に担当され、毎週、丹東から平壤使館へ物を運ぶトラックがあり、外交部幹部の中には平壤へ派遣されて欲しい方がいない。朝鮮農村にいた華僑は最も困難な時、都市まで集中され、これは一つ保護措置であるけど、外交上の圧力があるそうである。実には、朝鮮側は心でよく分かるが、需要のある場合、次兄(中国であり、長兄はソ連)はいつでもがらりと顔色を変えてそっぽを向いてはいい。社会主義国家であろうか、資本主義国家であろうか、兄弟の党であろうか、兄弟の国家であろうか、どの国であっても中国は怖がらなく、長兄のソ連と戦争してしまい、若い兄弟のベトナムと戦争してしまったが、朝鮮へは比較的に鄭重であり、大変迫らなければ決してがらりと態度を変えない。
中朝両党の関係について、心理の中で痼った第一人はうち尊敬する鄧小平さん、これは歴史の真相である。確かに仕方が無く、中国が改革開放を行なうことにより、金日成さんは楽ではない、但し、それは内政であるので、自然的に苦情すると適合ではない。でも、人が世の中で全く個人の思う通りに行なえない、国家の指導者をして全く個人の思う通りに行なえない。1989年、情勢はいきなり変わり、米国を始めた西方世界は集体的に中国を制裁し、鄧小平さんは西方封鎖を打ち破る実用主義の需要にて、余儀なく韓国と外交関係を建てた。
その時金日成の感受によれば、絶対に数日間よく眠れない、心には味が沢山あり、馬鹿にされてからかわれた感覚がある。悲痛な心持は治まった後、反撃し始まり、二人巨人の対決は始まったが、二人の世代は違い、一人は中国人民の「息子」、一人は朝鮮人民の「情深い父」。目上のは、まず慎重で婉曲に目下に打診してみたが、平等的に台湾と外交関係を建てたいけど、目下のはかっと怒り出してしまい、相手を通知したが、そのようにすればいい、但し、結果につきすぐ国交を断絶するほかない。で、目上のは怖がり何もしなかった。次に、中国は五輪を開催申請した時、一つ投票にて負けたことにより、「情深い父」は「息子」へ打撃を与えたけど、まだ恨みを除くことができなかった。ちょうどその時、朱鎔基は賑やかに興じてきて、上海より国務院へ転職されたばかりであり、楽になり実の事をしたいと思い、就職したばかりに三つのことをした。前の二つのは皆に広く了解され、例えば:三角債を解決するなど、最後のことを分かった人が少なかったが、彼は図們江入海口の問題を解決したい、この件を細かく言えばくどくどしくなり、要するに金主席は納得しなかった。中国側の理由は相手より強くない、中国側の根拠により、中露北京条約に、清国は烏蘇里江より東の領土を割譲してから図們江を境界にして、但し、その時朝鮮は中国の附属国であるので、調印資格がなく、また、その時中国と朝鮮の間には明らかな境界がなかった。その後、1964年中朝境界を決めた時、当時の総参謀部(総幕僚会議事務局)、国防部外事局また外交部には国務院へ建議を出し優れた人が一人もいなかったので、中国は図們江の入海権利を有しない、僅か15キロにて中国は日本海と接できなかったが、自分の能力不測を歎くほかない。朱鎔基等の人にかなり遺憾にさせた。100年ほど前の古条約を朝鮮に示すというのは、道理がない、なぜ1964年の境界条約を示さなかったのか?もう一回大国熱狂的愛国主義であるので、朝鮮側は強硬的に拒否し、実には中韓国交を仕返すことだった。朱鎔基は打撃を受け、恨みを心に預かり、情勢は変わるにつれて、彼はついに機会を見つけてしまい、新義州で仇を打った。以上は、第二世代、第三世代と金氏父子との恩怨概要経過である。鄧小平の言った通り、中米関係は最終的に良くなり、第四世代は、中朝関係も良くなれると補充できる。但し、直して改善する場合、更に大きい代価がかかる。
多い人たちはちょっと分からないけど、朝鮮はどのようにぱっとこんな状況になったのか?実際には、全て金日成のせいではなく、彼は欲しいままに歴史を創ることができなく、彼自身も時代の産物であり、歴史により、源は日露東北アジアの霸権を争ったことである。日露戦争の中に、露国は負け、勢力を南満洲より退出した。その後、逆に、日本は負け、朝鮮半島の整体は露国の物となった。次に、情勢も変わり、1945年、日本は負け、朝鮮半島と台湾より退出した。ヤルタ協議に従い、ソ軍は大連、東清鉄道及び北朝鮮を占領し、外モンゴルへの保護権を確立した。中朝両方もヤルタ協議の被害者だった。1945年9月19日、金日成はソ連軍艦に乗りウラジオストークより離れ元山で上陸し祖国に戻り、また汽車に乗り換え平壤に着き、ソ軍の助けにより政権の座について執政していった。
朝鮮民族による半分の世紀勢いが凄まじく死亡を救い生存を図った抗日闘争の中に、民族英雄は沢山出てしまい、そのうち1909年10月26日、ハルビン汽車駅で朝鮮愛国志士の安重根は嘗て日本駐朝鮮統監(実に総督)を務めた伊滕博文を銃殺してしまい、これは朝鮮現代歴史上の重大事件だった。一方、安重根の成功は民衆が抗日熱情を沸き立てるように喚起したが、もう一方、日本が朝鮮を併呑する進程を加速した。翌年8月29日、朝鮮は亡国したと思われなかった。亡国後の一部分朝鮮人は、中国との融合を加速していき、中国を彼ら抗日・民族復興の基地にした。また、十月革命は、彼らへ馬列主義(マルクス・レーニン主義)を送り、共産国際は人を派遣し朝鮮共産党を組織させ、その時金日成は僅か13歳であり吉林市で就学していたが、毓文中学校で就学し、朝鮮共産党の事は彼との関係がなかった。その後、抗日聯軍の時、彼は中国共産党を加入したけど、彼はただ基層党員幹部、その時中共の中に、彼より地位が高く有名な朝鮮人が多かった。崔庸健に関して多く説明する必要がない、また、金元鳳は八路軍の朝鮮支隊司令を務め太行山で長期的に抗戦したことがあり、武亭は八路軍の部門参謀処長を務めたことがあり、著名作曲家鄭律成は、八路軍軍歌と朝鮮人民軍軍歌の作者であり、許貞淑は延安で活躍的な女性幹部だった……。もう一つ派は国民党に頼り民族解放運動を展開し、トップの人物はかなり有名な金九、国民政府の支持により朝鮮亡命政府を成立し、金九は前輩の安重根を非常に崇拝し、彼を真似て暗殺活動をよく行った。その中、最も有名な一つ事件について、1932年4月29日、上海で王亜樵と協力し、虹口公園で一挙に日本将官13人に死亡・傷害させるように爆発してしまい、その中、駐中国大使重光葵のももは爆発し切られ、白川大将は現場で死にように爆発し、抗戦の間に、彼は打ち殺された日本最高長官だった。虹口公園事件は、世界でも随分大きい反響を起こし、その時凇滬抗戦は終わったばかり、当該事件は中国人民の抗日熱情を極に大きく激発し、日本政府・民間にびっくりさせ、ジュネーブで開催していた東亜問題討論の国際会議にびっくりさせた。朝鮮愛国志士安昌浩、尹奉吉、安昌傑、金天山等の人の功労を隠すことができない。
周恩来の言った通り、東北革命を開拓する方に、朝鮮人は主導作用を起した。この話の意味は多く、その中一つ意味につき、相当的で長い間に、東満洲共産党組織に、朝鮮人は90%を占めていた。
金日成は優秀な新人、有名な抗日英雄だった。1912年4月15日、彼は平壤万景台で墓地を保護する家庭で生まれ、原名は金成柱だった。中国人の風水説により、万景台は非常に良い。12歳のごろ、彼は中国へ行き、彼のお父さん、おじさん(父の弟)、お弟さんは全て愛国志士であり、大人になってから、彼は隊伍を手配し抗日し、著名英雄楊靖宇将軍の抗日聯軍第一路軍傘下の支隊長を務めたことがある。当該支隊の人たちは、ほぼ全部で朝鮮人であり、残酷で血生臭い抗日闘争の後、幸せに残り隊長に遂行し祖国に戻った人たちは、大部分で金氏王朝の元勲・重要な大臣となった。抗日聯軍第一路軍の中に、楊靖宇を含め殆ど全軍は覆没したが、金日成の支隊は生存でき、彼は機知に富み優れて勇ましかったから。中朝境界で跳躍的な反包囲遊撃戦を行い、天の時・地の利は朝鮮支隊に利いたが、楊靖宇は当該条件を有しなかった。1939年、共産国際の指示を受け、彼は300人ほどの支隊を連れソ連まで後退し、ソ軍極東軍区第88独立旅の中に組まれ、第一営少校営長を務めた。88独立旅は「国際旅」とも呼ばれ、傘下には、中国営、朝鮮営、ポーランド営、チェック営等があり、周保中は旅長を務め、崔庸健は政治委員を務め、劉亜楼は参謀長を務め、中国人は最も多かった。シベリアで本当な共産国際はこの旅だった。
卿本佳人、元々理想・報復を有し祖国を愛する抗日英雄であり、ソ連紅軍に政権の座につきスターリン主義者にさせるように支えられた。もう一回一つ昔の話の通りに、世間にあっては自分の好きには生きられない。彼が梦にも思わなかったは、ソ軍銃剣の下で出だ紅色小帝国の君主を務めたことである。多くより資格が優れる、功労が大きい、能力が高い幹部たちは中国との関係が深いので、スターリン氏に重視されなく、「中核」と指定されることができなくなった。
「情深い父のような指導者」との呼び方は、少し適当であり、彼は党である朝鮮労動党を創り、元の共産党は使用できなかった。彼は軍隊である朝鮮人民軍を設け、彼より指導する部隊を中核として広がっていき、また、彼は国を創り、ソ連紅軍が創ったとは言えない。
1950年6月、スターリン氏に指示され、金日成に自ら指揮され、人民軍は突然襲撃の戦闘方法で戦争を発動した。朝鮮民族へ凄い災難を齎し、戦争の中に負傷・死亡した平民は数百万に達したという結果が出た。同時に、中国人民へも巨大な損害を齎した。毛沢東はニクソンと握手した時(或はその前)、絶対後悔したが、中国人へなんか利益を齎さなく人力と財力を無駄に費やした不正義戦争を参加してしまい、毛沢東はつまり一つ民族主義者である。もしこの定性は過たないと、ロジック推理に従いこう考えるほかない。
鄧小平さんは韓国と国交を建てることを決めた前に、彼はぜひこのように考えた。彼により、なんか少し条約を違反しても構わない、中国より彼らへ貢献したことは多く、中国は改革開放をして馬列主義の箇条を犯した以上は、また犯さないことがあるのか?彼が中国四川省より出て法国へ留学した最初宗旨は、国家・人民を救うことであり、馬列主義はただ一つ手段であるけど、この手段は駄目だったら、もう一つに変わり、どんな手段であっても、問題を解決できれば良い手段である。当年、量多くの中央指導者たちは朝鮮へ出兵することを納得しない、その時、彼は重慶で西南局を管理し、中南海(中央)へ意見を表す資格がない、事件後、劉少奇、朱德、陳雲、林彪の意見により出兵しなければ正しいと分かった。でも、毛沢東は頑張って皆の建議を除き強引に行い、最後も後悔し、台湾問題の後遺症を残してしまい、キッシンジャー氏に百年間後で解決するほかないように言った。
現在の見識により見ると、1950年の朝鮮半島で、誰が三つ代表を体現できたのか?トルーマン、マッカーサー、李承晩の三人であり、確かに彼らは朝鮮半島で先進生産力の発展方向を代表し、先進文化を代表し、朝鮮民族の根本利益を代表してしまい、逆に、同じな民族と同じな土地であるが、天と地の差別を持つということを説明できなくなる。
三千里(一里:半キロ)国土は多すぎる悲哀に耐えられなく、六十年の時間も経ったがより長く待てない。苦難の深く重い朝鮮人民は日も夜も待ち望み、苦悶的な心より呼んでいるが、国家指導者様、優れた国家指導者様、中国の道を歩いてください、改革開放してください。私たちが欲しいのはただ腹一杯ということだ。一つ年寄りの華僑は私に教えたが、現在、日本人その時よりかなり悪い、その時には腹一杯をして衣服を十分に着ることができたけど、今のガイドマンは日本憲兵隊より凄い。傍観者は分かるが、安定はその他一切より重要である。
実に、日本人統治の時、朝鮮半島の北部には糧食が乏しいけど、その時半島は統一的で、また大東亜共栄圈の前身である小東北アジア共栄圈があり、即ち:日本、朝鮮半島、中国東北地区はほぼ一つ共同市場を形成し、日本人の指揮に従い、経済統一管理の自由配置を行い、その時東北人は米を食えない、米をこっそりと食う場合経済犯人となり、では、米を日本と朝鮮へ配置したので、その時北朝鮮には糧食が乏しくなかった。その後、小東北アジア共栄圈は潰れ、変わったのはソ連を中核とする経互会共同市場、同じように大きな作用を起こせ、少なくとも化学肥料は足りたが、長期的に化学肥料を使用して土地は固くなるようにさせ、逆に産量は減った。北朝鮮の面積は決して小さくない、13万ほど平方キロであり、但し、四分の三は山奥と丘であり、糧食作物の発展に適合しない、だが、人口は60年の前より明らかに增えてしまい、圧力はその時より大きくなり、1950年朝鮮戦争まで、三八線の両辺は三通を行なっていたが、停戦後、三八線はベルリンの壁のように全く閉じられた。鴨緑江西側で再び改革開放をする場合、兄弟党よりの無私援助は少なくなり、その時金主席はまだ落ち着き対応でき、良い事について長兄(ソ連)はまだいたので、僅か修正主義を反対・防止していたが、よく悟られなく、中学校卒の文化より低い、もう一つことを忽せにした。思いがけないのは、長兄(ソ連)がぱっと潰れた。元々いつも多国籍経済システムにより維持する北朝鮮経済は、一挙に李氏王朝より悪い状況まで退き、李氏王朝は統一的な国土を有したが、現在、半分の国土でスターリン氏の大きな成果が存在している社会主義ビルを孤独に支え、可能性がないでしょう?
1991年12月25日はクリスマス、この日は世界を震撼させた日、天地を覆すような日、人類歴史の新しい時代の日であり、夜7時30分、ソ連国旗はクレムリンから暗然として下ろされ、世界冷戦時代の終了を宣告した。
この行動は東方のボルシェビキをびっくりさせ、多い高級幹部はそわそわし、こっそり紛紛と議論したが、ソ連(1924年建てられ)はこんなに強かったけど、70年間未満でぱっと潰れてしまい、私たちは70年間進めるのか?1985年の夏、李鵬は去東欧を回り、モスクワに戻ってから大使館で中国留学生に接見した時、ブルガリアの発展はかなり速く、共産主義までは遠くないと言ったが、誰も分からずに四年後ブルガリアは潰れたが、もう二年間が経ってしまい、ソ連も潰れた。
慌てふためいた間に、鄧小平さんは言ったが、皆が驚いて度を失わなく、落ち着いて対応するように要求した。しかも、ソ連が潰れた日より一ヶ月間ほど以内ですぐ中国の南へ巡視に行った。中国改革開放の第二の春は始まっていった。
金主席は利口で練れた人、ソ連は潰れると、彼も以後の道を考えていたが、鄧小平のように南へ巡視に行ったのは駄目であり、三八線に遮られ彼は行けなくなった。北へ見ると、羅津—先鋒地区は気に入ったので、一言により開発区の設立を決めた。だが、ウィーゼルは病気のある家鴨を噛むことが好きであるように、朝鮮が政策を調整する最中には、金主席の偉い戦略部署は人に破壊されてしまい、これは中韓国交を建てることである。金主席は凄く怒らなかったのか?
実には、根本原因について、ソ連は潰れると、ぜひ木は倒れると中にいる猿は分散していくような大局面を齎した。1989年の夏、西方大国は集体的に中国を制裁し、その時、気が焦らなく手にまだ一つ大後ろ楯であるソ連があるから、急いで強要されると再び「一辺倒」をしてはいい。その後、1990年8月2日、湾岸危機が勃発したことにより、中国は喘ぐ機会を得てしまい、ソ連は潰れると、大後ろ楯が無くなり、どうしてはいいの?大慶石油労働者は言ったが、条件が無い場合、条件を創っても進んで行く。大後ろ楯がないと、小後ろ楯を探し、小後ろ楯は韓国である。鄧小平さんは確かに大局面に強要されてしまい、彼は南部を巡視してから北京に戻り、僅か一ヶ月間ほどが経ち、楊尚昆を派遣し朝鮮へ韓国との国交事件を談判させ、金日成は納得しないことを明かに表したが、婉曲に言った。これから、中朝関係は悪くなり、朝鮮は次第に台湾に近寄っていった。
平壤の本屋で、マルクス、 エンゲルス、レーニソ、スターリン及び毛沢東の著作を見えなく、全部で金氏父子の著作である。ソ連は解体するにつれて、怖いことについて、馬列主義の意識形態は一緒に潰れて、皆の霊魂は取り出された。人、体制、政権の場合も本当に霊魂を要る。でも、意識形態という霊魂は、短い期間で創られ皆に信じられることができない。霊魂のない政権は、ただ紀律を残し、「紀律を強化すれば、勝たない革命がない」を行なうほかない。霊魂の裂け目を紀律で埋める。
病気にかかるのは速く、病気を診るのは遅い。金日成の逝去は、経済全面崩壊の導火線となり、当年も立ち所に効果が現れ、もう一回農業が国民経済の基盤であると証明していた。計画経済は本当に消耗が高い、効果が低い体制であり、いつまでも病態により運行され、朝鮮は例外できない。朝鮮は多い経済発展の自然条件を有し、優勢は非常に明らかで、豊かな鉱物資源を持ち、例えば、炭鉱資源について、貯蔵量は大きい上炭層は浅い、当年、米国B29爆撃機はアマチュア地質探査者を務め、爆弾を降ろすと時々出したのは石炭だった。その他、銅、鉄なども多く、またウラン鉱、リチウム鉱等もある。両面で海に臨むので、漁撈業、海水養殖業を盛んに実施できるけど、海を巡り耕地を造ることを行なった。広い山奥は、土地実況により適切な措置を取り、総合利用をし農林牧副多種経営を発展すべきが、成功に行なわなかった。中央財政は典型的な高消耗型財政、大きい軍費支出を払う後、残るのは少ない、また当該少ないお金で無理に中国風の首長工事を行い、例えば、1988年、平壤市中心で亜洲の最高ビル105層を建てるつもりだったが、今まで16年間も経ってしまい、セメント枠は依然として立ててあり、経済崩壊の象徴となっている。道であろう、郡であろう、地方にはなんか財政がないので、道府と郡府で、都市管理のほうには、平壤よりなかなか悪く、より古くなっている。
いかなる事に対しても、極まれば必ず逆の方面へ転化し、経済は崩壊すると、地方にの権力は逆に広がり、一方、中央は地方及び各システムの実際ニーズを供応・満足できないので、行政システムはかなり効果を失くし、凝集力はかなり低減するようになり、必然として実施方法の多い局面が出た。もう一方、地方と各システム(企業と事業機関を含める)の方は、基本的な生存供応を得られないので、多い実施方法を行い、人心はずっと早気落ちした。やみ市は必然として出て、だんだん合法的になり、やみ市の範囲は非常に広い、多いのは見えない戦線、ただお金があれば、もちろん最も人気があるのはドル、党政幹部、軍官、庶民であろうと、ドルを見ると大変好くになり、なぜかというと、まず、彼らは人、毎朝起きると、面するのは家族の食事、服、住宅、移動であり、党旗、国章及び関連するものではない。やみ市は全民に好かれ、車、家屋も購買できる。公開的家屋取引市場がない、こっそり公有家屋使用権を有料的に譲渡する。車を買ってから、ある機関に依頼し、お金を支払うとナンバープレートをもらえる。その他の手口は多すぎるので、また細しく述べない。受取書に乗せる及び規定する日常生活必需品の供応は厳重に不足なので、仕方が無く、農産物取引市場とやみ市へ補充するほかない。こうして、価格の二つ制度は自然的に出た。経済変革は、このように少しずつ緩んでいく。金正日はよく分かるが、管理しなく長くいくと、結果はなかなか厳重になり、慎重に考え選んでから、彼は、新義州特別行政区である改革開放の大きい行動を毅然と行なった。続いて、楊斌事件が出た。
客観的に言うと、中国第三世代指導者の中に、新義州で特区を設ける事に対して優れた方がいたが、大部分を占めていなかった。且つ、遼寧省の一部分リーダーはよく役に立たなかった。第四世代の時、優れた方は大部分を占め、十六回三中全会による東北古工業基地振興の決議を通じ、新義州特区への態度を変わった。この時に至り、楊斌は多分笑うが、新義州の件には後継者が絶対いる。
六方会談(六カ国協議)の最後結局はきっと一つ大団結、且つ次第に一つ常設機関になる可能性がかなりあり、朝鮮半島が出る不具合な状況を速く会話・協商するように行なう。そうすれば、東北アジアの平和・発展へよく利くと見込んでいる。米朝両方は譲歩すれば、その他四方も半島平和・発展に責任を負うように承諾する。ここで、戦争が出られない、政治平衡局面は維持していく見込み。また、米国は新しい機会を探し、小さい摩擦及び有限的制裁が出る見込み。
朝鮮以後の発展・変化は下記の内容より離れられない:
一、今回機会を得てから、必然として改革開放を通じ力を尽くし経済を発展していき、受動局面を脱するように行なう。
二、これから、朝鮮を影响する最大のは相変わらず米国、中国、韓国の三カ国である。
三、朝鮮はどのように努力しても韓国に追いつけない。両方の統一はまだ遠い、但し、最終的に南方は北方を統一する。この時間表は僅か一人の安否とちょっとした心得違いにより決まるけど、金氏第三世代はぜひ負ける。
最後、また偉い朝鮮人民は早く豊かになり復興するように心より祈りします!釈迦牟尼が彼らを加護するように祈りします!(完了)
(当該文章はインターネットより抄録され、引用の時、少し削除されたことがある。当該文章に、読者に参考させるように与えた内容が多いけど、引用者の観点ではない)