第八章 第四回会談のため 再度ピョンヤンへ
新義州特区を設立することを北朝鮮より正式的に中国に通告した。
6月10日、喬勝利さんは有名な投資家李家華さんの伴をしてオランダ町を参観に行き、新義州特区で石油精製所及び港町の設立への投資について詳しく商談した。晩宴後、彼らが泊まった別荘へ旧友の喬さんを訪問した。
午後10時30分に、楊斌さんより私を喬勝利さんの伴にさせ彼が住んでいるA9の住所へ行き、商談することを電話で誘われた。
楊斌さんは来訪のお客さんを送ったばかりで、会話をするのはただ私たち三人であった。ただいまの情報によると、昨日(9日)、北朝鮮政府外務省より朝鮮駐在の中国大使への会見を正式的に通告したことをうれしそうな顔で私たちに教えてくれた。北朝鮮駐在の中国大使が現在中国に滞在しているため、北朝鮮駐在の中国公使が外務省へ会見に参加した。次の三点を巡って会談が一時間半続いた。第一点は北朝鮮政府は平安北道新義州市に特区を設立する予定があり、中国政府に新義州特区への理解や支持を期待している。第二点は中国出身でオランダ籍の欧亜グループの代表取締役を務める楊斌が北朝鮮の男女老少に周知され、北朝鮮の農業現代化に対する貢献を考慮し、彼を新義州特区の長官に任命することを決定した。第三点は中国で楊斌が所有する企業や資金及び彼自身の安全を中国政府が保証することを要請した。ただちにこの内容を中国政府に報告すると北朝鮮駐在の中国公使が回答した。
興奮していることを隠さずに、楊斌さんはどんどん話した。「商人や資金を募ることを急げなければならない。急ぐのだ。将来、商人を特区へ募ることはあなたに任せましょう。資金を調達して来たら、特区を建設することもあなたに任せます。関さんの話しによると、以前蛇口建設の統括責任者を担当したことがあるらしいですね」
「もう過去のことになりました」と喬勝利さんが平然に答えた。
筆者が喬勝利さんと一緒に朝鮮の妙香山で記念写真を取った。
まだ極度の興奮に陥ってい楊斌さんは「よし、新義州特区建設の統括責任者はあなただ。招商局局長の重任に重ねて、大変になるんですよ」と思わず口から出した。
喬勝利さんは何も言わずにただ聞いていた。
傍にいた私に楊斌さんは「関さんも特区に来て新聞社を作って、新聞宣伝の管理を…」と言い添いた。
「私はもう年寄りの役立たずで…」と笑いながら私は答えた。
喬勝利さんに「喬さん、新義州特区の設立が東北アジアの繁栄には良き事でしょうね」と楊斌さんは聞いた。
喬勝利さんはまた平然とした口調で「北朝鮮の新義州を「開放」し、「経済特区」にするのは良いことで、東北アジア地域の平和と発展に役立つと思います。江主席が唱える「平和と発展のテーマ」にも合致していますね。」と答えた。
「そうですね。一生でこのような立派な事を成り遂げれば、十分だ。特区は楊斌一人のものではなく、皆のものになります。仲間たちにも特区で稼ぎさせたい、子供たちに衣食に困らせなく、留学費用にも困らせないようにしてほしい。関さんも老後の貧乏暮らしを心配しなくて済むのだ…」と楊斌さんは頷いた。
楊斌さんのこの言葉に私の心が動いた。文人は時として思いやりのある言葉だけで満足するものだ。
6月11日、馬寧・翁永曦・王諾・佟連発など一行は楊斌に招請され、沈陽のオランダ町に到着した。楊斌さんは再度皆に北朝鮮政府が北朝鮮に駐在する中国公使と会見したことを伝えた。情報を聞いて皆が大変喜んで、「中国政府は必ず新義州特区の設立に協力する」、「北朝鮮は「開放」するのは実に目出度いこと」だと踏んでいる。
「楊斌代表団」メンバーの考え方を統一し、外界に対する同一性を保つために、翁永曦さんは会議で「北朝鮮政府はすでに正式的に外交チャンネルにて中国政府に通告した。新義州特区のことはだんだん公開化と明朗化になっていく。したがって、われわれも自分の言動に注意しなければならない。第一、われわれは決して中国と北朝鮮に損をもたらすことをしないこと。」を提出した。
翁永曦さんは次のように述べた。
「新義州特区のことを皆が外界に問い詰められるに違いない。どう答えればいい?言うことがばらばらになるわけにはいけないでしょう。口裏を合わせるには六つの準則がある。
第一、 特区は何だ?特区は北朝鮮が新義州で設立する世界と繋がれ国際性のある自由貿易区であり、金融・物流・先端技術・加工・不動産管理や旅行を一括する特区である。
第二、 新義州特区をどう思う?「剣を犂に鋳直す」というように平和や改革開放に目出度いことである。中国経済を推進し、特に東北地域の経済発展には役立つ。
第三、 このことをどう思う?特区を設立するのは北朝鮮の主権であり、オランダ会社と北朝鮮との合作である。金正日将軍が決めて下さった政策であり、楊斌を選んだまでのことである。
第四、 楊斌氏はどういう人?(1)彼はオランダの農業規範を中国に導き、中国の農業現代化に力を寄与した。(2)金正日将軍が上海へ訪問に来たとき、上海にあるフォルクスワーゲン社や温室農業を参観した後、楊斌に現代農業手本をピョンヤンで作るため北朝鮮へ招請したいと伝えた。「北朝鮮の現状は「十分の七は山、二は田畑で、一は水」であるため、農業を振興するには長所を発揮し短所を避け、果物や野菜の栽培を重視しなければならない」と、楊斌は提案したことで北朝鮮方面より信頼を受けた。(3)北朝鮮の南北とも「開放」し、南は開城で北は新義州とする。新義州はこれから楊斌の手によって世界性の公園に変わる。(4)楊斌は経済に熱中し、常に成功を追求する。努力することを好み、問題が起きても正面から勝負できる人である。(5)楊斌には政治興味を持たなく、政治背景がなく強国に支えたわけでもない。まったく政治的色彩のない人である。楊斌は中国政府を信じ、中共中央は成熟したリーダチームであり、必ず新義州特区の「開放」を支持すると信じている。この件は江主席が「OPEK」で提出した「平和と発展のテーマ」に合致している。(6)楊斌の財産はいくらある?楊斌は現地で金を作れる。
第五、 楊斌は何のためにあなたたちを招請した。私たちは政治浪人であり、「基本法」を作成するため楊斌に一時的に集まれたものだ。
第六、 北朝鮮方面はオランダ町に何を商談するにきた。「基本法」について商談した。新義州特区を設立することは目出度いことだと北朝鮮方面は思う。私たちの態度は「朝中両国間の硬く結びた友誼を尊重する」である。良き事である以上、中国は必ず支持する。この件は東北アジア地域の平和と安定に、アジア或いは世界の平和や発展にも有益である。」
つまり、「事実を重んじ、大通りを通る」①ということになる。
新義州会談に参加した代表たちは皆「対外開放」の推進について北朝鮮に協力したいことを望んでいる。これは東北アジア地域の平和と発展に有益であることや朝中友誼に役立ちたいことは皆の共同の願望である。
車が鴨緑江を渡した後のこと
2002年6月18日、オーストラリアにある葡萄荘園の主且つ葡萄酒工房のマスターであるウィルソンさんが沈陽に到着した。彼は楊斌さんの紹介でビョンヤンの郊外で葡萄畑と葡萄酒工房の場所選びに来た。翌日、彼は楊斌さんたちと一緒に飛行機でビョンヤンへ行く。ビョンヤンに滞在した間、私はウィルソンさんの伴をし、ビョンヤン・南浦等所へ葡萄畑の場所選びに二回も考察に行った。2007年11月、ウィルソンさんがビジネスで中国の北京に来て、私と馬寧さんと釣魚台国賓館でこの三人家族を招待した。旧友の再会がとても嬉しいことで、北朝鮮に滞在した日々や新義州特区のことを語り合い、楊斌さんたちは感慨に浸したのはこの先の話である。
6月19日、私は楊斌さんのおじの王時福さん(南京大学の地理系教授である)と王諾・楊大勇・崔揚及び楊斌の食事の世話をする二人の女の子(私はオランダ町で何回も彼女たちが作った料理を食べたことがある。とても口にあい、「色香味全」であったため、「楊斌代表団」メンバーの好評を受けた。)と一緒に、朝の八時から沈陽を出発し、沈丹列車で昼に丹東市に到着した。四月にピョンヤンに行った時、新義州経由でピョンヤンまでの230キロメートルを6時間も走った。それに、辺境検査所で「ソフトウェアー」事件②が起こり、もう2時間を延ばした。ミネラルウォータを十分用意したが、食べ物を用意しなかったので、皆腹減るのを我慢していた。今回は前回の教訓を受け、私たちは丹東で食事を済み、万が一の時腹を満たすため、ミネラルウォータや飲料水以外に肉まんや牛肉・野菜炒め・ライス等を包んでもらった。
車が鴨緑江大橋を登った時は初夏の昼だった。車内の温度は高かったのだが、窓を開けば涼しい川風に吹かれ、皆が気持ちよく旅の楽しんでいた。ヨットが鴨緑江で静かに進むのを見て、国の辺境の安泰と平穏を実感できた。車が鴨緑江の対岸に着けば、北朝鮮の辺境検査所がある。そこに車やトラックで混雑していた。例の辺境防衛軍の少校と出会ったが、旧友の再会にやはい私から「中華」タバコを進め、タバコを吸いながらいろいろ話しを弾んだ。今回は北朝鮮からの外務省代表がお出迎えに来たおかげで、順序に辺境検査所の手続きを済ました。二台の車がゆらゆらに揺れながら、南新義州と豊西を経て、竜川や五峰里を沿って、定州に向った。このごろ、途上に見える畑はすでに田植えが終わり、辺りが緑一面になっている。山地に植えられた玉蜀黍の苗が一尺を超えたが、皆痩せていて、力なく風に靡いた。北朝鮮には丘が多く、土が瘠せているため、肥料を大量に投与しないと作物は健全に育てられない。だが、化学肥料の生産高が低くて、農民からの需要を満足させることはできない。丘陵地帯を通った時、なぜ山地で果樹を大量に植えなかったと考えたが、その後、北朝鮮の友人に聞いたら、現在農村の体制は集団所有制の農業生産合作社であり、「三年水害」を被害し、今彼たちは生産回復や多く食糧を作ることに精一杯だそうで、果樹栽培には手が余るらしい。品質優良な果樹苗や肥料がないだけでなく、もっと大事なのは当年で果物を收穫できず、少なくとも二、三年が掛かるので、食糧に困るのだ。その点はよく理解している。彼らに災難が重ねられ、今の一大事は食糧の問題を解決することである。北朝鮮政府は丘陵地帯での果樹野菜栽培に気づいた上に、「朝鮮園芸総社」にこの辺の合作について外商と商談するように指示した。北朝鮮の方から土を譲り、労働力を提供するに対し、外商に資金や技術を提供されるように合作する。楊斌さんの招請に応じピョンヤンへ考察に来たオーストリアの荘園主ウィルソンさんの葡萄畑のプロジェクトは間もなくピョンヤンに来るアルゼンチンの農業企業家と同じ、北朝鮮の園芸総社と合作したプロジェクトの1つである。
私たちが乗っている車が定州や百祥楼を抜き、清川江大橋を渡して、平安南道に入った。路程の半分が過ぎたので、道端にあった東屋の隣に車を止まった。一休みをして、男性の方は木立の裏で用を足して来てもいいですと北朝鮮の友人に教えられた。
太陽が西に沈んで、もう4時過ぎだった。初夏の空が青くて晴れ渡っている。近所の小学校の授業が終わったところで、紅領巾を首に巻いた小学生たちは二人又は三人で伴に、自分の村に帰った。今回は早めにピョンヤンに到着できると見込んだんから、丹東から持って来た食品を車から取り出し、子供たちに配りようとした。だが、私たち中国人を見て、戸惑う様子が現れ、食品を送ろうとしているを見て、皆逃げ散ってしまった。何回も同じようなことを繰り返したが、誰も食べ物を彼らに届けなかった。仕方なく、食品を私たちの伴をする外務省の「安内」たちに渡し、彼たちにこれを北朝鮮の友人に送ってもいいと伝えた。彼らが食べ物を手にして、東屋で日に当たっている老人たちに向った。老人たちは近所の村民であった、東屋に集まって暇つぶしをした。
私たちも挨拶に近づいたが、彼らは誰も弁当箱にある肉まん、牛肉、野菜炒めやご飯に手を出さなかった。彼らの疑いを取り除くために、私は肉まんを一つ摘んで食べ始めた。「安内」たちと北朝鮮の運転手も肉まんを食べ始めた。それを見て、老人たちも枯葉のような痩せた手で肉まんを取り上げ、早く食べ始めた。瞬く間に肉まん、牛肉、野菜炒めやご飯が老人たちに食べ終わった。
彼らが食べ物を勢い良く食べて、一人づつミネラルウォータを一瓶もらった事を見て、私たちはとてもうれしかった。当時、北朝鮮は私たちが遭遇したような「困難時期」の真ん中で、北朝鮮人民の苦難に非常に同情を持っている。私たちは「経験者」で、餓えることはどういうことか良く理解していたからだ。
午後7時ごろ、私たち一行はようやくピョンヤン市内に入った。灯を点りはじめたピョンヤンはやはり美しい。電力が不足しているが、メイン通りやビルが光を放っていた。初夏の夜風に吹かれながら、大同江を沿って、二ヶ月ばかり別れた牡丹峰国賓館に到着した。
楊斌、李剛、石軍、周翔、劉殿輝とオーストラリア人のウィルソンさんが専用飛行機で午前にピョンヤンに到着し、すでに牡丹峰国賓館で宿泊した。楊斌さんは私たちが晩御飯の前に到着したことを喜んでいた。今晩彼は羊角島ホテルへギャンブルに行くつもりで、皆に付き合ってもらうのだから。食事の時彼は「食事の後、皆が休んでから一緒に羊角島ホテルへ行こう。」
楊斌のギャンブル癖が再発して、賭けをしなくてならなくなったのを知って、皆が心得ているかのように笑った。
私に「関さん、あなたがいれば必ず勝つだぞ。」と楊斌さんは言った。
確かに、四月のピョンヤンで、彼の伴をして羊角島ホテルに何回行ったが、彼が負けたことは一度もなかった。ピョンヤンを発つ時総額8万ドルを勝ち取った。
6月20日、午前10時ごろ、馬寧、王恵東、喬勝利、李粛、佟連発、駱偉健等が飛行機で順安国際空港に着いた。これで、「楊斌代表団」の全員がピョンヤンに揃い、第四回会談に参加しようとした。
革命伝統教育を受けてから会談へ
6月21日の午前。楊斌、李剛、葛憲民、王玉民等欧亜グループのメンバーが金社長一行の同行で化成洞「ピョンヤン―欧亜合営会社」に行き、そこで設立された農業温室基地を視察した。9月9日は北朝鮮の国慶記念日であり、北朝鮮方面はガラス温室を記念日が来る前で完成させることを望んでいた。だが、一部の温室設備がまだ期間通りに到着しなかったので、施工も遅れてしまい、進行速度が少し遅くなった。協力方として北朝鮮園芸総社社長の金東奎が大変焦っていたから、一連の問題を解決するために着たばかりの楊斌を早速に連れて行った。
私たちは主体思想塔と朝中友誼塔を参観する予定になった。主体思想塔は金日成主席が提出した「革命理論-主体思想」を記念して立てられ、大同江の南岸に位置している。主体思想大通りは綾羅橋から玉流橋を渡って大同橋までの地域を東から西へ細長い区域に区切った。その全部が主体思想塔の範囲と言える。十何段の段階を登ってから、主体思想塔の台座部分が見える。台座部分は何千平方メートルもあり、塔の全体が花崗岩でできており、荘重で且つ厳粛な雰囲気を漂うように設計され、何万人の観光客を同時に受け入れられる。日本から来た十何人の朝鮮籍の中学生が朝鮮族衣装を着ている女性の説明係が説明している主体思想塔の正面に刻まれている詩文を一心不乱に聞いていた。
私たちは通訳の朴成浩により日本からの朝鮮後代中学生と懇切に話し合いました。白い半袖、黒いズボン及び黒いスカートを着ている学生たちは、日本の各地から集中して、組織されて自分の祖国に観光したのです。彼たちは私たちが中国から来たと聞いた時に、とても嬉しくて、私たちとそれぞれに記念写真を取りました。
私たちは学生と一緒にエレベーターに乗って、主体思想塔の頂上に登りました。そこに立って、遠望して、全体ピョンヤンは目に入りました。私たちは捜して……足下には大同江で、ここで牡丹峰国ホてルを見えて、接近するのは绫羅島にある『メーデー』体育場で、4月26日の夜、金正日様から指名されて楊斌と私たちの全員はそこで行っている『阿里郎祝日』試演を観覧しました。もう一度金将軍に会いました。主体思想塔の向うは金日成広場で、4月25日金正日そこで閲兵して、私たちは誘われて、参列しました。西方向の川の真中には高く聳えているビルがあって、それは羊角ホテルです……
主体思想塔から下りて、車により大同江を横切って、市内の凯旋門を横切って、朝中友誼塔に来ました(中国人民志願軍烈士記念塔) 。そこから中華人民共和国大使館まで遠くありません。
この塔は1025塊の石で作りました。それは中国人民志願軍1950年10月25日に参戦したことを象徴するそうです。当年、友誼塔の建築案は金日成と周恩来の自身から査定したのです。先輩の両国の指導者、その時にはどんなに仲睦まじいでしょう!人々に懐かしく思われた。
これは四角形の公園で、青々と茂る松や檜で、緑木が木蔭になり、高い階段に登って、塔の底に来ました。人々は塔内に来て、回りの壁は朝鮮芸術家から書いた大型壁画で、違う階段を分けて中朝抗日健児は長白山では日本侵掠者を共同に抵抗して、志願軍鸭緑江を踏み出し朝鮮人民軍と共同作戦して、朝鮮ママは志願軍に運送給養を協力して、中国人民志願軍は朝鮮に戦後建設回復を協力して……
塔内のロビーの中心では精緻な木机が設置されて、机の上に花柄の名簿があって、それは私たちの目を引きました。それは鮮血を三千里山河に零した中国人民志願軍烈士の名簿で、その中には犠牲した志願軍高級将領、各級指揮員及び著名英雄烈士の職務、名前を記載しています。残念なのは副軍長、軍副政委、師、団、営等の職務だけ覚えたが、彼たちの名前をを記録してなかった。当年朝鮮戦場で犠牲した中国人民志願軍最高職務の者は李湘という軍長です。毛主席の息子の毛岸英及びだれでも知っている楊根思、黄継光、羅盛教、邱少雲等の烈士の名前は皆その中に記載しています。
それは新義州からピョンヤンまでの道で見た多くの志願軍烈士記念塔及び烈士陵墓園林も思い出せました。何十万志願軍烈士の骨が朝鮮の土地に埋められました。中朝両国人民の友誼は鮮血で結ばれました。友達、忘れられます?忘れるのは裏切る。
21日の午後、朝方は楊斌及び代表団成員、オーストラリアの客先が大同江を観光することを手配しました。
大同江は朝鮮東部狼林山脈から起源して、金城湖を通って徳川を経て西へ流れて行って、竜岩里に来て、順川を経て南へ直接ピョンヤンまで行く。もう一つ普通江という川は平安南道泉沿里、梧琴里、烽燧山の辺りから起源して、南へピヨンヤン市に入って、頭老島では大同江と合流しました。
2002年4月23日午前、筆者たちは朝方の案内により金日成主体思想塔を観光して、記念残しました。
私たちは歩いて牡丹峰国ホテルを下りて、正門の道端は青緑の大同江及び遊覧船停泊港です。そこの遊覧船は人々に開放しないで、来訪の国際友人及び貴賓だけ提供します。
遊覧船は大同江を沿って南へ行使して、玉流橋の下を通って岸の辺りの風景全体目に入りました。その日はちょうどピョンヤンの祝日で、民族服装を着ている朝鮮婦人及び家族は岸辺に集中して、多くの小型遊覧船大同江をパトロールしています。川の中の二つ噴泉は空へ噴射してとても壮観しました。川を沿って午前行った主体思想塔を見ました。それに羊角島と擦れ違がって、やがて普通江及び大同江の合流のところを見ました。私達の遊覧船は素早く万景台の渡し場に来て、停泊してから上陸しました。車隊もうそこで待っていて、やがて万景台に来ました。道路の両側の山坂は万景峰で、緑木は木蔭になり、檜と青々と茂る松は森になり、たびたびに清新で爽快な松森の薫りが漂ってきました。暖かい陽光に迎えて、金日成様の旧居に来ました。
金日成将軍の旧居は万景台の山坂の平らな台にあって、それは普通の農家庭です。金日成様は革命に参加して、彼の祖父祖母はそこで居住していました。庭は幾つ間の藁葺の家からなりますが、屋根の使ったのは当年には私の長白山区まで下ろされた時には、よく見た紅毛公という草です。少しずつ並んで敷いたのです。その紅毛公という草は、とても軽くて、大雪に耐えて、耐用します。金日成祖父祖母居住した幾つ間の藁葺はあまり広くありませんが、とても清潔です。部屋の壁には金日成祖父祖母の大きい写真を掛けています。楊斌は金社長一行の案内により金日成の祖父祖母に花を捧げました。部屋の向うには低い工具保存している藁葺が二つ間があります。今ごろ当年老人使った各種類の農具を並んでいます。
解説者によると、金日成様の何人の親族は、将軍の励まされて、抗日活動に参加しました。その中には革命の為に貴重な生命を捧げた人もいたそうです。それににより、毛沢東が思い出しました。毛沢東の夫人の楊開慧、弟の毛沢民、毛沢覃等の親族は中国革命の為に貴重な生命を捧げました。そのことから言うと、毛と金は同じなの者です。
女解説者によると、当年金日成様人民軍を率いてピョンヤン解放しました。1945年10月14日の昼にはピョンヤン40万人の歓迎会を参加してから、万景台に災難に死なずに生き残った祖父祖母に会い来ました。金日成は当時のことを思い出す時に、以下のことを書きました。
『祖父は靴もはかないで、部屋から庭に飛び出して、両手で抱いてくれて、泣きながら:[上孫は帰ってきた、見せてくれ!] 祖母は私を見た時に[父と母をどこに捨てたの、一人で帰てきたの?]
『その日、ピョンヤンから持ってきた酒を持ちだして、祖父と祖母に酒を勧めて:[お爺さん、おばあさん、許してください、もう30才あまりで、孝道したことはなかった。]
『[もういいよ、父の朝鮮独立の願望を実現した。それは孝道です。それよりもっと高い孝道がありますか? 国家人民の為に全力を尽くしたのは孝道です。] 』③
その革命者のおばあさんは20年ぶりの孫が急に帰ってきたことを見て、嬉しく泣いて、革命に投身している孫の為にとても誇りに思いました。
楊さんとオーストラリアの客先の维尔逊はそれを聞いてから、とても感動されました。金日成旧居の庭と正門の前で、私に依頼して記念写真を取りました。
私達は牡丹峰国ホテルに戻って、みんなは深い興味を持って、今日ピョンヤンでは『まず革命伝統教育を受けて』、それから会談することを話出しました。
大事な四つ官職についての争論
23日午後10時に、双方会談はピョンヤン文化宮三階の会議庁で行ないました。
朝方の代表団団長金東奎はまず『皆さんご苦労さまでした!』とあいさつしました。みんなは意味を悟ってにっこりとした。『革命伝統教育受けてから会談する』という言葉を思い出したからでしょう。
金東奎は楊斌に『ピョンヤンガラス温室を9月9日の国慶節に金将軍への贈り物の工程とする』と話しました。楊さんは時間を守ってガラス温室を建設完成して、それを金将軍への贈り物の工程とすると希望しています。在席している楊総経理、翁総経理、馬総経理及び皆さん、何回の交渉しましたので、もう家族になりました。今回の成功することを希望しています。まず楊斌総裁の考え方を聞きたいです』。
楊斌はまず温室に関する問題を答えました。『陽光温室十分に成功しました。ガラス温室の建設もうまく行っています。朝鮮人民の野菜飲食の問題を解決したいです。7ヶ月を通って、ピョンヤンの気候も工程の進度も予想通りです。それは見本だけではないですが、重要性は朝鮮人民にそのように朝鮮人民冬季生活問題、天に頼って飲食の問題、朝鮮未来の糧食問題を解決できると言うことを教えます。将来には百万ムー温室の成果により、朝鮮人民冬季野菜食べ難いことを解決できます。金将軍にこんな大勢の軍体を派遺して、温室建設は素早く進できたことを感謝します。トマト実を結んだ、胡瓜実を結んだ、甜瓜実を結んだ。特区の交渉も結果も出るはずで、豊作の果実は皆が分かち合うべきです。』
金社長は楊斌ほど詩歌絵画の境地はないで、態度を表明して:『法律上の問題は皆一致性の意見を取ることを希望します。立法会議長、裁判所所長、警察署長の任命は一致を取ってなくて、私たちの意見は朝方から推薦して、立法会により任命しますが、貴方の意見は外国人から担任します。私たちは特区長官下役の役人は特区住民か国内から担任して、それは国際商業募集に難しい問題を起こさないでしょう。特区総責任者は外国人で、立法、裁判所、公安、審査は私たちの方から担任して、それは問題を起こさないです。ヨーロッパー人、シンガポール人によりそれらの職務を担当する場合には、経験がありますが、当地を熟知しなくて、当地を管理できません。それに香港、マカオの長官は当地人です。以上のことを考えた上で、私たちの方から推薦したいで、何かご意見があったら、提出お願します。』
楊斌:この問題について何回も語りました。目的は一つ、特区の為です。朝方に特区の長官職位を担任させないことではないで、外国人担任した方がいいと思います。羅津先鋒ほど失敗しないで、目的は外国人にお金を出して投資させます。私達はそうするしかありません。それは投資者に入らせます。例えば警察は外国から来ましたが、下役の役人は大部分は朝鮮人が担任します。外国人に特区は朝鮮のほかの州と違っていると認識させると思います。
『本人は朝鮮人に重要職位を担任させたくないではないで、外国人からそれらの職務を担任したら、少なくとも対外に良好な姿を保つことができます。私達の目的は何?企業は利潤の為に特区に来るので、特区は投資者の熱望に迎合する為に、即ち猫に魚食べたい欲望が発生させます。投資者は猫のように魚のにおいがしたら来ますが、魚の表面に唐辛子を散らしたら、腹にも唐辛子を散らしたら、猫は怖くて来ません。』
『金委員長は国外での出張が多くて、国外の情況をよく知ていますが、世界人民は朝鮮の真実情況をあまり知らないで、敵対者は朝鮮に恥をかかせて、日本、米国の投資者は怖くて来ません。誰かはそれらの職務を担任することばかり考えしていないで、だれが問題解決できて、勤務やることは肝心なことです。五年後うまく行けなかったら、朝方は私を解職してもいいです。ガラス温室に関して、まず6ヘクタールサンプルを作りましたが、朝方はその電力さえ解決できないです。どうしましょう?毎日そのことばかり考えています。その結果は陽光温室という仕方が思い出したから、温室で野菜栽培の問題を解決しました。』
『投資者は娘が嫁に行くようで、嫁に行く前に条件を相談して、もし新婚夫婦の部屋に入って、子ども産んだら、逃げられません。私は沈陽オランダ村で大量の金銭を投資して、いい、悪いと言わずに、やり続けるしかありません。オランダ村を持つことができなくて、嫁とるのは、まず妻の兄弟のことを研究しないで、重要なのは嫁をもらって来ます。』
許明奎:『外商は基本法を見て投資したのですが、誰かが長官を担任することを見て投資するかどうかを決めることではないで、重要なのは基本法で、法律です。投資環境に関して主なのは法律で、1日早く基本法を公布することを気にしています。』
楊斌:『基本法に誰がそれらの長官職位を担任することを明記しないようにお願します。私も調査研究中です。外国公安の法規は朝鮮とまったく同じではないで、大部分は財産侵害罪のは多数で、強引連行、市場独占は会社の名義で現れるのは多数で、それは根本的に政府の収入を危害しました。現在、朝鮮公安局はそれらことをあまり知らないです。例えば偽小切手、偽信用カード、銀行金融詐欺罪。それらの複雑経済犯罪活動を処理する時に、必ず市場経済の多年経験を持っている人にやらせて、それらの重要職務を担任させます。立法院は双刃剣で、警察局、審査院はその剣を持つのは重要なのです。うまく処理しないと、影響されたのは一人、一つ案件じゃなくて、特区の全体姿です、それに特区未来の発展を影響します。』
許さんは:『部署指導者は朝鮮人が担任して、下役する者は外国でもいいです!裁判所、警察、審査長は私が担任するべきです。特区長官はそれらの人を管理、監督します。羅津先鋒うまく行けなかったのは当地の長官からですが、新義州は外国人の楊斌が担任して、三権を持って、下役を監視管理できます。』
翁永曦は楊斌の『猫論』も『娘嫁』も朝鮮の方を感動できないことを見て、角度を変えて私たちの観点を述べたいで、彼は『過渡的な時期をくださいませんか?五年か10年。バレーボールチームからバスケットボールチームまで鍛えて、それは時間が必要です。最も効率を代表しているシステムは、全世界での最も典型した海上汽船です。汽船には船長一人しかいません、運転手でも、機関室でも、ほか水夫でも、船長の指揮に従わなければいかなくて、それは高度集権一元化の指導です。そうじゃないと、運転手は1等航海士に従って、機関室は2等航海士に従って、汽船は前進できなくて、必ず事故があります!
『また警察局長の例を挙げます。彼は直面したのは全世界最も開放した自由貿易区で、国際上の毒品販売組織、やくざ、商業詐欺、コンピューター犯罪……、国際上の各国政府、警察局にも困らせています。当地局長はなかなか厄介な問題に直面した時に、関係な処理経験を欠乏します。国外から捜すのは一つの方法ですが、危険もあります。全部下役により決定することもとても危険です。局長は自身はやることではなくて、下役にやらせます。ほかの長官に延びて、同じ道理です。いちばんいいのは過渡時期をくださって、まずその面をよく知っている人を捜して、そのような人はその面の法則をよく知って、仕事もできて、人柄立派で、そのような人にそれらの職務を担任させます。』
『楊斌は二つことだけやる必要で、局長は自分の職務通りでちゃんと仕事することを要求します;素早く朝方の人を育って、一日早く替え玉になります。』
実には翁さんの話は中庸で、一方では楊斌に思い切ってやらせて、もう一方では朝鮮人を育って法則をよく知ていたから、替え玉になります、それでも、朝方の代表に不満されました。許明奎は『翁さんは私達の朝鮮人はその能力ないと思いますか。』
楊斌の首席顧問の翁永曦は当年紫陽の幕僚でした。
それは誤解です。翁永曦は早年北京大学国際関係専門を卒業して、80年代にまだ30才あまりで、中共副部級幹部を担任したことがあります。彼は外事会談中で失礼する可能性がありません。翁さんだけではなくて、私達の『楊斌代表団』に参加した成員も、事業成功、本書き、単独で仕事を担当できる人で、その中には国家機関では司長、局長、あるいは司長、局長と相当している職務を担任した人が何人います。良好な愛国主義と国際主義の教育を受けて、朝鮮役人を軽蔑する思想及び言論はある可能性がありません。
誤解を解除する為に、翁さん続いて説明して、;『そう言う意味じゃないです。述べたのは警察局長だけではなくて、新義州の幹部中には方向転ずる問題があります。よく知っている50年の経験からあまり知らない仕事に転じて、それは一つ過程です。朝方から特区に一つ過程をくださることを希望します。朝鮮は経験を持っているほかの面の局長を選出してもいいです。私はこの面にすぐ適応するのは難しいで、以前は会ったことがありません。』
朝方代表の桂勝海副委員長は発言して:『私達はいいモデルを作りたいです。私は貴方の立場に立って考えましたが、ご意見は理解できます。私達の国内新義州で特区を建設することを聞いて、とてもびっくりしました。世界からも反応しましたので、ある程度聞きましたが、中国の特区は外国人から行政長官を担任したことがありますか。私達の金将軍は楊斌を信じて、新義州の特区の長官を担任させます。朝方の名誉に間してある程度を考えてくださいませんか?法律が公布される時に、特区長官及び主な役人は外国人でしたら、私達は国内にどんなにからかわれるでしょう!ですから、必ず立法、司法、警察、審査皆私達は担任することを堅持します。』
桂副委員長の話は朝方の代表達の考えを反映している。彼たちは金正日の指示により、国境を開け、特区を創設し、開放政策を実行し、だんだんと国際社会と繋がっていく。しかし、代表団の構成員、特に重要成員はだいたい50歳過ぎた人である。その封鎖した50年間に、主体思想を指導思想としてずっと存在していたが、その人たちの経験はほとんどその年代に起こった。国内の上層によって、特区の創設に対する意見が違った。それで、彼たちにとって、大きな負担である。彼たちは「開放」と「保守」の間にバランスを保持させるよう頑張った。それは朝方の構成員の態度である。
私たちは朝方の代表団成員の思想と立場をよく理解している。朝鮮は50年以上鎖国した国であるから、官員の思想がすぐ解放されるのができない。たとえある人の思想がとても自由であっても、すぐはっきり出すのもできない。私たちはいつも秘密裏に「おい、駱教授、彼たちに授業をあげようよ」と冗談した。駱さんがマカオ大学法学院の教授で、香港、マカオ基本法の起草と協議に参加した。「おい、佟院長、今度は君の番で彼たちに授業をあげようよ」。佟さんは遼寧法学院の副院長である。そこで、中国で改革開放を一番早く担当した蛇口特区の責任者喬勝利に、彼たちに述べさせば、もっと親切になるかもしれない。その時、喬勝利がチャンスを逃がさないで、朝鮮の友人に蛇口レーダーを担当する体得を紹介していた。
喬勝利は、「中国の改革開放が、1978年から始めました。その時、中国に学ぶ経験が何もありませんでした。1979年、深圳の蛇口に派遣された時、圧力がとても大きかったです。特区は何ですか。中国に特区なんかあることが今までありませんでした。意見とか、認識とか、とても多かったですが、一致もしなかったです。下層だけでなく、高層のレーダーもそうです。改革開放からの四年目、1982年鄧小平が深圳に視察に来ました。聞くことと見ることを主として、偶に問題を出し、視察の三日目、鄧小平が特区に対し、明確な認識と肯定を持っていました。」
「私は深圳に20年いますが、深く感じ取ります。趙紫陽が視察した時に、『君達がやることは、中国現行の体制以外のことです。もし建国の体制によって施行すれば、成功できないです。』と言った。新体制は国際市場の経済体制に従って作動しています。新義州特区は朝鮮金正日将軍の重大な決定ですから、成功しかない、失敗は許されない。」
「楊斌総裁が朝鮮人民に対する感情を認識されます。彼は特区行政長官を担当した時、やったことは金正日将軍、朝鮮政府に対して、責任を持っていました。だから、楊さんは一元化の指導がほしいです。しかも、朝方に理解してほしいですが、最大限度の支持を与えてほしいです。」
23日の会談で、朝方は特首が指導する四つの重要なポストを得るために、全力を尽くした。実は、楊斌と彼のメンバーが朝方の代表達の苦衷をよく理解しています。特区の四つの重要なポストは全部外国人から担当したと言うことについて、朝方の代表の言ったように「国内会がどうして私たちにそう対処しますか」。さらには、ある人は「彼たちは売国奴」と指摘した。中国改革開放の初期、老紅軍は深圳に見学に行った時、彼は慟哭して涙を出し、「私達は武器と鮮血で得た国を、彼達にそのままで葬り去ってしまった。色も変わった。」と言った。その物語が中国で広く伝わっているが、笑い話になる。海南島で土地を投げ売りし、ある人はそれは「売国」と指摘した。朝方の代表達の圧力を、私たち改革開放を経験した人によって、深く感じられる。しかし、楊斌と彼の交渉代表達は、自分の意見を堅持しなければならない。二つの観念の間で、衝突が起こったのは免れられない。そのため、辛い交渉がまだ後である。④
6月24日に、会議を始めると、論争を展開した。
朝方の代表許明奎は先に発言し、
「基本法の順序によって討論を行いました。第一章、第二章はもう通過しました。討論した部分に関して、楊総裁が支持してほしいです。変わるころをやめてほしいです。検察院長は朝方から推薦し、特区行政長官から任命します。」
佟さんは、「以前、朝方は立法会から任命するという意見を出しました。」と聞きつづけた。
許さんは、「議長、法院院長は立法院から生み出します。行政長官は特区長官から任命ます。それは我が国の指示です。以前、君たちも賛成しました。警察局長はだれから任命しますか。」と明らかにした。
楊斌は、「四つのポストの手配はとりあえず、基本法の順序によって、討論しつづけます。」と忙しく言った。
許さんは譲歩しないで、「私たちは君たちの原稿を通し、討論稿を持っています。今ただ、警察局長はまだ決めていません。議長、法院院長は立法会から選挙するのに対して、意見がありますか。」と言った。
楊斌がそのまま論議すれば重大な結果を引き起こすと分かった。それから、言い方を変わって、「私は外から朝鮮に嫁いだ人です。将軍はそんな大切な権利を私に与えて、私を信じるに違いません。」と話した。
「新義州特区は航空母艦と同様ですが、私はキャプテンです。でも、運行中、波に遭う可能性があります。前進の途中で、一切がキャプテンの指示に従ってはいけません。前方に霧があっては、通られるはずです。でも、船乗りは私の指示に従わないで、最後は、船は沈んでいます。私自分の損は大したことじゃないで、朝鮮人民の損は大きいです。実践によって、権利を持たないレーダーは、最後、失敗しかないです。」と述べた。
左から馬寧、許明奎である(朝鮮最高人民議法制委員会副委員長)
許明奎は、「双方は議長と法院院長の国籍を気にしていなければ、議会から生み出すのはどうですか。」と言った。
楊斌は、「第一回立法会はとても大切です。それは自由、開放社会の教材のように、外国人が皆目を開けて見ています。議長が外国人から担当すればよいと思います。立法会の1/3は朝方から任命し、1/3は長官から任命し、後の1/3は第一回の立法会に私から推薦し任命します。全部で10名です。居民選挙について、第二回の立法会から行います。選挙は立法会が成立した後からである。特区を創設する前に、一切がただ始めたばかりである。その間で、私は毎日あるお婆ちゃんに、どう招商しますか、どう実事をやるか、と解釈します。それなら、特区を大きくさせないに違いません。」と述べた。
許明奎は、「立法会の議員も特区のために奉仕し、ほかの目的があるはずがないんです。」と解釈した。
楊斌は、「中国は香港を取戻し、一人も派遣されませんでした。外資企業と資本の資金が流出しないためです。投資者の心を落ち着かせます。特区を創設すると、社会主義と資本主義という矛盾に直面しています。例えば、ひとつの球技チームは三人のバスケットボールメンバーと二人のバレーボールメンバーからなっています。そのような局面でどう勝ちますか。自分は先に混乱します。自分の意見を書いてから、金将軍に報告するという方法はどうですか。金将軍から決めて、彼の指示によってその通りに処理します。」と言った。
金東奎は、「私たちは意見を一致してから、金将軍に報告したいです。」と言った。
楊斌はこれが金正日の決定ではないと聞いている。彼は、「私の考えは、特区の創設について、私ひとりでやりたいです。四つのポストは外国人から担当したほうがいいと思います。規則で運行します。」と述べた。
許明奎は、「瀋陽でもう相談しました。立法会は15人で、朝方は8人で、楊の方は7人です。私も言いました。董建華特首が香港で立法会を管制しませんが、楊さんは三権を持って、心配する必要がないのではありませんか。立法会の公表権と否決権利は全部特区の長官が握ります。外国人は長官の権利をアメリカ総統よりも大きいと思っています。」と話した。
楊斌は、「立法会の議長はもし外国人から担当すれば、選挙しますか。」と聞いた。
許明奎は、「君は議員を推薦し、15名の中から選出します。」と答えた。
金東奎は、「私たちの目標は特区、経済をよくさせます。基本法、協議書の中に、何にか問題があったら、補足してもいいですよ。私たちの意見は議長、法院院長が議会から生み出すのです。警察局長、検察長は朝方から生み出します。」と言った。
楊斌は、「私はとても矛盾です。私は本気で新義州をよく建設したいです。ほら、当年、蛇口特区のリーダー喬勝利さんも来てくれて、それは全部特区のため…
私は皆の意見を聞き取り、二つの制度、二つの考え、どうするつもりですか。私は朝方に過渡期を与えてほしいです。皆何か月付き合って、もう友達になります。金将軍が私にそんな重要な責任を与えてくれて、よくやるのは私の責任です。そのやり方しかないです」と言った。
金東奎も楊斌を安心させて、「始めの頃、過渡期に、特区長官が権利を持たなければなりません。この権利がなければだめです。」と言った。
楊斌は、「第一回の立法会、居民が選挙した議員は長官から任命します。ただ一回です。」と話した。
金さんは紛争の雰囲気を緩和するために、馬寧に、「馬さんの意見は何ですか。」と笑いで聞いた。
許明奎も、「私たち中央は馬さんを推薦するかもしれませんよ」と言った。
楊斌はもう一度、「三人を推薦しましょうか。」と争った。
金さんは窮状を打開しなければならないので、「皆の総目標はただ一つ、まるで、同じ船を乗ることです。よい経済特区を成立することに皆も責任を持っています。新義州特区は世界最強の特区に建設させますよ。自分の利益のため、お互いに口喧嘩は必要がないです。金将軍は楊斌を信じ、楊さんの任務を絶対よくやらなければなりまえん。」と言った。
許さんは話を続け、「司法権についてのことですが、今、書く文章があまり全面ではありません。例えば、最終裁判権利について、楊さんに聞きたいですが、最後は、わが中央から決めますか」と聞いた。
楊斌は「中央から決めます。でも1つのことを強調したいです。シンガボールは自分の区域安全のため、最近死刑を回復します。でも、オランダの議会では良く分らないです。彼たちは一度私に聞きました。どうして中国は死刑がありますか。もし、新義州特区は死刑がなければ、毎日、街に戦争や誘拐やドラッグ売りなどがあります。特区はきっと不安定になります。人たちは安全感がありません。アジアの国は死刑がなければなりません。」と言った。
佟さんは「アジアで死刑があるとない国は半分半分です。死刑を廃止する国は終身監禁があります」と説明つづけた。
金東奎は「特区裁判所から死刑を裁判することに中央の認めを取らなければなりません。わが国で犯罪したら、大体刑務所に送ります。背叛罪もそうです。特区に良い投資環境を創造するために、外国人に特区の法律を理解させる必要があります。特区に誘拐やドラッグ売りなどの犯罪活動を絶対許せません」と言った。
王恵東は「中国政府は責任者が朝鮮に訪問したことがあるそうです、我々は朝鮮は中国政府と特区のことについて相談してほしいですが、中国が新義州特区に支援するかどうかはもっとも重要ですよ」と言った。
金東奎は「具体的な意見がありますか」と聞いた。
楊斌の新聞発表者になる王恵東はアメリカの留学生である。彼は新義州特区に交渉した時、朝鮮に建議を提出した。中国政府に特区に特恵政策を要望した。図は王恵東と楊斌がオランダ村にの写真である。(撮影 関山)
王惠东さんは以下の意見を詳しく出した:
一:税関に出入りすること
(一) 人員は丹東、新義州を出入りするに対して、税関の方面便利を与える。中国と第三国のパスポートを持つ人員は新義州特区に入る時、ビザを免除することができて、あるいは到着した後ビザを発給することもできる。
(二) 特区を建設している間に、工場労働者と仕事関係者は仕事ビザ、一時的なビザ、通行許可証をもらえて、そうしたら旅行者や投資者や商人などに特区を出入りすることに便利を提供したんだ。遼寧省の丹東、瀋陽、大連など地方から実行して、最後ペッキン、広州、上海あるいは全国まで拡大する。
(三) 中朝(新義州特区)両方は聯合検査ビルを建てる。往来人員が増えるという状況を解決するために、税関を開く時間が延べる。今の税関が土日は休みです。人口流動問題と物品流動問題は特区にとって非常に重要です。
二:金融、貨幣問題
(一) 中国は新義州特区に中国銀行を設立することはできる。
(二) 人民幣は新義州特区に流通することができる。
(三) 中国の国有企業、個人経営の企業は特区に自由で投資することは許可して、この方にゆったりした環境を創造する。民営と個人的の企業を含めて、資金を相互に画することができる。
(四) 中国政府は中国住民を新義州特区に投資したり、工場を作ったり、商店や企業を建てること激励するように望んでいる。
三:貿易と輸出入政策
(一) 国境とバーターみたいな貿易形式を激励する。特区を建設している間に、魚業と鉱業は便利な方式で特区の中国と貿易する。
(二) 特区は中国に無税関な政策を実行して、中国も特区に無税関な政策を実行することが望んでいる。
(三) 新義州特区は新築した自由な貿易区域である。転口貿易上に、便利なサービスを提供して、たとえば保税特別区などを建設する。
四:通航
(一) 新義州特区から中国の北京、瀋陽、大連、武漢、上海、広州、西安、成都など重要な都市までの民用航空の直航を開通する。
(二) 新義州特区の港湾から中国主要な沿海都市までの旅客運搬と貨物運輸業務を開通する。
五、中国と特別区政府の関係を強める
(一) 強化新義州特別区政府と中国政府の関係、連絡グループを作る。北朝鮮の側も含む、即ち 三方連絡グループを創立した。特別区を改善する事を目指して(目的は特別区を改善する。)特別区の建設を強める。
(二) 誘う中国政府と香港特別区政府は新義州政府に行政 機構、管理など方面で指導して訓練する。
(三) 外国人観光者、商人、媒体が新義州特区に行って、それに来る人はますます多くなるので。中国政府は丹東にあるとあるいは特区に領事機構あるいは執務機構を作って、外事などと関係であることを処理する。
金東奎:「あなたたちはこの提案、要求が整理して 私たちに手渡してくれ、適当な時期に 朝鮮政府と中国政府は意見を交流する時 上に引渡す。」
杨斌:「周辺貿易あるいは免税の形式で朝鮮生産の果物や野菜など 中国に輸出する。また 特区によって韓国や日本へ、 至っては 香港、東南アジアへ輸出する。」
李粛が口を挟んで言った:「特区を作る時 大量な糧食や建材や食品や生活用品が必要だ。うちは何が中国に交換するか。朝鮮は鉱物や海産物や魚や果物がある。これは全部中国で欠乏の物だ。周辺貿易であり、中国が優待政策を与えることを望んでいた。」
金社長:「私たちはこの数日 基本法と協議書について相談して、まず一致の所は整理した、私は親友だから 問題があるところは一致の達成を願う。私達の権限以外事は中央に反映している。今度 皆さん どうも ありがどうございました。」⑤
6月25日 朝方は私達と一緒に妙香山風景区へ観光した。
妙香山脈は東から西へ西朝鮮湾まで延べして、山脈の北側は平安北道、慈江道であり、南側は平安南道である。妙香山南側の渓流は全部 成竜江という川に流れ着いて、中三里という所の近所で大同江と合流して西南方のビョンヤンへ流れていく。
妙香山は主峰の海抜が1909メートルだ、朝鮮の有名な観光地だ。近所有名な寺を除いて あそこは立派な金日成の贈り物展覧館がある。あの展覧館の中で全部 各国政府、元首、政党と国際友人からプレゼントを展覧する。あそこは毛沢東、劉少奇、周恩来、朱徳、鄧小平、江沢民などの中国国家幹部と中共幹部から珍しいプレゼント、及び 金日成は当年 北東に抗日活動を参加した時期 中国戦友から記念品がある。これはまた 中朝両党と両国人民の深い友情を感じてくれる。
2002年6月25日 筆者などは杨斌と一緒 妙香山風景区を観光した。左二は朝鮮方面の首席代表金東奎、右一は筆者 右二は杨斌
妙香山は山岳重畳、うっそうとした樹海、澄みきって底をうつ渓水、千ヘクタールを占めたお寺、空高い古松、殿堂数個、あるは観音を奉って、あるは仏像を奉って、あんなに大きい寺にあまり観光客がなくて、山風が木の葉を演奏してさっさっと声を出すほどとても静かだった。時が真夏に当たってなのに、かえって涼しく気持ちがよい、貴重な主人の厚情は私達にここを訪れさせた。
杨斌は多分佛教を信仰している人だった。彼は瀋陽荷蘭村に何門佛を奉っていたこともあり。私も彼の事務室にも、大きいデスクの上とガラス本棚に置いた二門の金仏像を見た。その上に、彼の別荘の応接間にも一つの大きい観世音仏像を奉っていた。私は「楊斌代表团」の人たち大抵あれも見たことだと思ってた。
その原因で、彼と一緒に観音殿で見学した時、彼は敬虔に観音上に線香を供えて、ひざまずいて頭を地につけて、そして祈り銭を供えたなどのことを見た、皆もおかしいと思えなかった。もしかして、金持ちは方々が神様に礼拝して、神様から自分の事業を守っていると祈りと、商売がよくなるかもしれないでしょうか。私は特に朝方代表の金社長、金基秀、朴成浩及び朝鮮テレビ台のカメラマンの方に注意した、観音や仏像に礼拝した人は一人もいない。彼達は朝鮮国家幹部として仏像に礼拝する事は禁止かもしれない。しかし、朝鮮の廟や寺が完璧に保存していた。
。風景如詩な妙香山で、私達は帰ることも忘れるような楽しい一日を過ごした。暫く、二日前の交渉した時一触即発な雰囲気、及びに「はっきりいえない」ではないの、私たちはどうして特区の良好なイメージを守るいろいろな理由を忘れた
6月26日 私達は第四回の談判の最終日。
会談はいつのビョンヤン文化宮の三階に行う。私は朝方代表人数を数えて 合計13人で。
金東奎総社長は主人の方として まず 皆に 昨日皆さんお疲れ様でしたと挨拶した。
「私達はとても楽しい一日に過ごした。金社長のご招待は心から感謝します。」と楊斌は代表として、皆の謝意を伝えた。
金東奎 「基本協議書は多きい問題がありません、楊社長は何が補充しなければいけないのか。」
楊斌 「税務問題がある」
乔胜利 「特区経済建設と発展は特区政策問題がある。これは二つの点を分けて 一、朝鮮政府は新義州特区に開放政策を;二、新義州特区は外商や引い入れる資本に対する政策。もし 周辺の存在する問題がよく解決した、私はこの二つの問題だけと思う」
香港が例として外資を導入される条件が優良である。一方面、香港の経済は特に発達する。それに 香港の政府の経験が豊かし、これは 香港がずっと繁栄の原因だ。香港はイギリスの元方法を導入され、特区では輸出入関税が全廃され、15%の所得税を導入する、これは全世界の商人が香港に来た投資する事が有効だ。投資環境がよくし、計算効率も高いし これは資本と投資者たちにとって世界一番の良いものだ。
新義州特区は世界各地のいい方法を吸い取り、最優秀の人材と管理理念を導入する。新義州特区の税率は香港の15%より以下して税種も少なくて 10年の内に税収を強めない。逆に 特区の外資を吸い取る事は不利し、特区の発展と建設も不利だ。だから 朝鮮中央政府は特区に寛大な政策を作る。そうでなければ 成功は難しい事にする。
許明奎 「特区の税率も15%で作るか」
乔胜利 「10%で最高」
許明奎 「皆さんの意見を聞いた中央に提案して新義州の税率14%が十分だ、ロシアの35%より低い」
乔胜利は更に説明した:「中国はたっだ3%の所得税だ、深圳は1%だけで税収が少なくて税率も低い、これは自由開放の政策だ。中国は改革開放中でこの開放、自由な政策を施行して 進歩が速くから これは有効な政策を証明した。特区の中で全部の企業は税収の基礎だ。低税率は企業に速い発展を持って来て、政府は税源も増える。深圳特区は1998年に 市政基礎建設に500億元を投入する。2000年以来財政収入は50億を超えても 中央と省に与える金は100億も超えなくて そうすれば深圳市の市長地位は安定させる。この一番重要な事は良い政策で税源を育って、前15年自由開放の政策で特区の速い発展を促進した。
馬寧 「個人と企業の所得税は地方に上納する。税収は特区に良い投資環境のためにする。環境が悪くて 誰もここに投資に来てくれないし、治安が不安定で誰も来ないし所得税が高くて 投資者は興味がない、それで 特区の税収は特区の建設のために制定する。企業の投資は開始の2年目に基本的に損する、特区の税収も基本的にない。3.4年目になると企業が利潤があったら 前二年の損を補充して、5年目になる時が余裕な利潤があって政府はまた税収がる。今 私達もいい方法を見つけない 特区政府の正常な支払いはこれだけの金で支払れば養廉と言うことは言えないでしょう
朝鮮対外経済協作促進委員の金勇術は「利潤があるから所得税をする、前10年に所得税を収めなくて どう思うか。特区は減免政策を作って 投入された高新技術の企業は優待な政策を与えて、特区にとって有利な企業は四年の税収が減免して3年の税収は半分しか収めない。でも 落後の企業は減免政策しない。」
許明奎 「特区の盛んのために 税収問題は再び討論する。今日の目標は国が外商投資に税利法の制定だ 何の方法が有利だ。
楊斌 「高科技は10% 他のは14% これは非常に低いだ。工農業税は3%-5% これ以上高くできない。交易税や営業税は地方政府に渡せ、地方の財政を維持する事の方法と保障だ。」
許明奎 「これは立法会で相談しよう、保障特区政府の画必要だ、これは大丈夫、具体は後で相談する。」
楊斌 「外商はここに来て三つの条件がある」
「一、基礎施設。丹東の電力、水 熱力及び短い時間に使う電信整備である。でも これはたっだ丹東に短期の依頼だ、長い発展に対して うちは自分で建設するところが必要だ。でも 電信建設だけ2.3年がかかって、当然 何百米ドルがかかって簡単な通信ネットを建設する。総体計画は1000万米ドルで 前期支払い。土地が売ったって 総体計画も作って 計画も前期に金を投入する。
「二、新義州の洪水の防ぐ施設。土地が洪水が沈んでしまわれないことを保障したり、投資者の投資危険と利益を保護したりして 局部の防ぐ洪水施設は必要だ。特区の前二年建設中は消毒するために大金がかかる。
「三 臨時の運送通りを建つ。丹東から新義州まで埠頭に船便を転がす必要だ。この事はもう 丹東側に協調して、中朝大橋を造り上げるのに3年かかる。この3年間 どう江を渡すのか。これは全部うちに金を調達して解決する。この問題を解決したのは海外からの投資を吸い取る事はできない。」
「短い時間の内に、第一の産業をやりできる。旅行産業は人気と経済を上げれる。計画はできるだけ早く区域を分けて、科学区、台湾の工業区、欧州の農業区、化工区などを計画して、設立される。
「いろいろなことがやる必要がある、新政府グループを成立する、私達は外へ行くヨーロッパや日本、韓国などに交流して 資金を吸い取り、米国へ米国の議員達に私達の事を反対されない。またヨーロッパの議会と相談して あれは私にとって非常に重要な事だ
しかも 一番重要な事は中国政府の支持をもらう事だ。」
新義州の鴨緑江ホテルを内装して臨時の事務室として使って 人員もここに来る 私も同じここに住んでいる。計画や治安や資金も全部 到着した。
現在 埠頭の建設はどこに問題があるか、4の百万トンの製油工場も商談中、すぐ 特区に入る。中国、日本、韓国の企業者たちも速く新義州に行く。
楊斌:「 20万の朝鮮人民の生活はどう解決するか、特区建設が始まってきた 朝鮮の企業が動かなくて、四万の家庭はどう生きるか。道がある、これは 特区に20000軒の日光ハウスを建って 野菜を作らせ 特区に供用する。まだ丹東を輸出する。この方法と通り 彼達の年収は2500米ドルになる。また 租借の方法と請負う方法を使う。政府は20万人の生活を考え、人民に安定される。私達は朝鮮軍隊を誘った、建つ日光ハウスを協力してくれ、生産物はヨーロッパとアジアの会社を交わして売れる。これはいち一番重要な事は新義州の20万人の安定、治安と生活だ。
金東奎:「楊社長の別行政区行政長官は金将軍が任命して 私たちは全力 支持してあげ、ご心配がなく 私達は共同体だから 目標は良い特区を作る。基本法と協議書の主要部分は一致を完遂する。議論がある問題は皆で協商する。私達の権限以外の事は私達は最高会議に報告する。ほどなく 私達は瀋陽に再び来た時 皆さんが 満足な結果をもらう事を希望する、
第四回の会談はここまで終わった。半天ぐらい時間があるけど 他の活動がある。。楊斌は6月 ビョンヤンに 最高会議の時に基本法を通じることを望む。でも今度のビョンヤン行は楊斌の希望と比べて 進展は大きくない。今回の相談は進展があるけれどう 新しくて 重要な結果もない。皆に失望される
注釈:
①翁永曦の発言について、私当時の記録を摘むことである。
②すなわち4月21日、私と王諾、楊大勇、崔揚など一行初めて赴朝は鴨緑江を渡て、新しい義州の辺検站に検査を受け取る時、崔揚弁護士携帯の何皿かのコンピューターフロッピーディスクに 「新義州特区基本法」についての書類」を検出された。朝方の女将校は内容を下見すことを堅持して、当社はこれが機密書類だから閲覧することは禁止と堅持した。最後、朝方面外務省とピョンヤン方面は連係して、やっと通行することは許可された。
③「金日成伝記」に見える、第8巻417ページ。朝鮮ピョンヤン外国語書店、1998年の版。
④この事情と双方代表の会談は、主に私の2002年6月23日の記録に由来する。
⑤この事情と双方代表の会談は、主に私の2002年6月24日の記録に由来する。