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第九章 「国際金融新聞」による楊斌に対するメディアからのさまざまな質疑

「楊斌の神秘的失踪」という本は欧亜株式の下落を引き起こした。2002年7月1日、楊斌はアルゼンチンからの客様とともに北朝鮮へ赴き、ピョンヤン郊外に投資した乳牛養殖工場や粉ミルク加工工場を考察した。
7月9日、「国際金融新聞」の林方記者はオランダ村にある欧亜会社の本部事務ビルに行って、楊斌本人に取材しようと頼んだ。だが、そのとき楊がピョンヤンにいるので、この会社の広報部の部長アシスタントである辺守捷は勿論、楊斌の具体的な居場所を記者に教えることができないわけだ。普通なら、辺は広報企画の事務の担当者であり、本来ならばメディア関係者を熱心に接待し、記者からの質問に答えることもできるし、記者に付き添って、あるいは接待事務室の人を記者のところに行かせ、記者とともにオランダ村を見学し、少なくとも公にした4ヘクタールの面積を持っているガラス作りの温室に案内してみることぐらいはできるはずだ。温室の中には育ちのよいオランダ産の花や草などがあり、たとえば、蝶々ほくろ、アフリカ菊、トマトやピーマンなどの野菜がある。胞子育成室はそのときに国内ではかなり現代的なハイテク農業であり、北朝鮮から派遣された若い技術者がそこで胞子育成技術を学んでいる。だが、辺守捷は自ら記者を接待することができなくて、ほかの誰かを記者のところに行かせなかったから、記者を三階のロビーのソファーで長い時間を待たせた。仕方がないので、林方は本部事務ビルを出て行くしかないのだ。林方は一人でオランダ村を一回りし、治安の人に「楊社長は本当にオランダ村にいないのですか」と聞いたら、数日前に沈陽を出たという返事だった。
そのうち、林方の書いた「脱税や漏税の疑いがもたれ、調査に当たった中国の第二富豪が行方不明になった」という特大見出しが上海出版の「国際金融新聞」および人民網に掲げられた。長くもない林方の記事から見ると、彼はオランダ村の上層管理者に会ったこともないし、脱税漏税の疑いというのを沈陽当地の関係部門や土地管理部門に実証したこともないので、この記事はただの香港方面の報道を繰り返し行ったものに過ぎないのだ。たった人々を驚かせた一つの報道――「香港欧亜農業株式会社の代表取締役である楊斌(現国籍:オランダ)は最近神秘的に行方不明になった。筋によると、楊は7月10日前に沈陽を出たとのことだ。」というものだけで、欧亜農業に投資した個人株式家や証券ビジネスマンをいらいらさせたのだ。まして、「国際金融新聞」が「人民日報」(華東版)に属しているし、人民網も高く位置付けられた。この報道は直ちに国内外メディアの注目を集めた。
その後、「南方週末」の記者がオランダに行って、オランダ村に致命的な損を負わせたほどの文章を発表した。日本「中国創業投資株式会社」の顧問の呉勇博士はこういった。たくさんの日本のテレビ局の記者がオランダ村に取材に行った。記者たちが欧亜本部事務ビルの二つの会議室に集まったが、誰一人接待に来た人はなかったという言い表せないほどの大変な状態だった。その後、日本の記者たちが帰国し、インターネットでされたことについて厳しく批判したそうだ。呉勇博士に「楊斌はなぜ接待の人を行かせなかったのですか。」と聞かれて、そばにいたオランダ村の接待事務室の主任の周翔と私はひたすら苦笑するしかない。
7月11日、「国際金融新聞」の林方の報道――「楊斌が行方不明に」「神秘的に行方不明に」が発表されたら、香港欧亜農業株価は当日午後の寄り付き相場で11.22%と2.175香港ドルにまで暴落し、7.14%と下落し、2.275香港ドルの終わりねだった。「国際金融新聞」のたった一つの報道だけで、楊斌は株式市場で10億香港ドルもの損をしたと言った。
7月12日、「国際金融新聞」には、当新聞社の魯克が上海からの「神秘的電話が楊斌の行方を漏らし、香港欧亜農業株価が暴落」という報道が載せてあった。同報道では、次のような紹介があった。「楊斌の行方について、欧亜会社からはさまざまな説がある。新浪網が公開した7月11日にかけた電話での問い合わせでは、欧亜会社企画部門の林さんは楊斌が北朝鮮で考察しているという説を出したのに対し、欧亜会社役員部門の劉さんは楊斌はすでに日本へ出張して、帰るのがあさってになるという返事だった。つまり、7月13日に沈陽に帰るという意味だ。それに対して、香港のあるメディアは7月11日の報道で、欧亜農業担当者の秘書は楊はただ外で用事があって、7月12日の朝は沈陽に帰って会社に出勤し、その後香港の基金社長と顔をあわせるっていう答えだと言った。「当新聞社に電話をした神秘男子は記者に楊斌は北朝鮮にいくわけがないと言った。」
楊斌はいったいどこに行ったのか。北朝鮮、それとも日本。それとも人民網――国際金融新聞が言ってた「楊斌は沈陽を出なかったかもしれない。」当時はメディアではさまざまな見方が出てきた。こういう混乱したさまざまな憶測の報道は、オランダ村各部門の不一致な記者への返事によるものだと見られ、「まさか楊斌が本当に税金をごまかしたのかという疑いで取り調べられか、中国第二富豪の失踪」という効果を生み出した。こういった混乱状態も楊斌の一大失敗だ。楊はよく北朝鮮に「ピョンヤン農業基地」や「新義州特別区」の交渉に参加し、これは極秘のことであることは理解できないもないが、事前に広報関係の事務や言い方の一致などができれば、それにメディア関係者の接待方面でも程よくすれば、今度のことは重大な失敗を避けられるはずだ。しかし、欧亜会社は現代化企業のような管理メカニズムを取ってないし、楊斌も始終広報やメディア作業を重視していないうえ、広報の仕事を経験のない人に任せたせいで、今度のような危機を起こしたのも怪しくないのだ。
7月11日、ピョンヤンにいる楊斌は「国際金融新聞」が林方の書いた「楊斌の神秘的失踪」という記事を発表したことやそれによって香港欧亜農業株価暴落のことを知った。「欧亜農業」の役員である趙永初は楊にすぐ沈陽に帰ってほしいと伝えた。なぜなら、基金の社長はその夜、飛行機で沈陽についたのだから。
7月12日午前10時、楊斌はピョンヤンでの未完成の仕事をおいたまま、直ちに飛行機で沈陽に帰った。私は石軍、周翔などと桃仙空港まで迎えにいった。当時、香港欧亜農業の株主基金社長たちはもうオランダ村について、楊斌の帰りや彼の説明を待っていて、また共同で具体策を打ち上げようとした。午前中11時、楊は基金社長たちと2時間にわたる討議を行って、会社の業務や将来の発展について説明を行った。
7月12日、つまり楊斌が沈陽に帰った当日、香港「新報」は次のような報道を載せた。「昨日大陸で、メディアは欧亜農業会長の楊斌は土地利用違反や脱税、申告漏れの疑いが持たれ、関係部門の取調べに応じているのかもしれない。また、楊斌が神秘的に姿を消したことは欧亜の株価の暴落を起こし、ほかの民営企業の株価にも影響を及ぼし、暴落を起こしたということだ。「フォーブス」にランキングされた中国の大富豪のうち、多くの富豪は税を納めなかったので、国家総理朱镕基の公開批判を受けた。関係の税務部門はすでに特にこれらの民営企業に取調べを行っている。」
7月14日、楊斌は香港に行って、欧亜農業がわざわざ行った記者会見に参加した。
香港「経済日報」は「楊斌は香港で姿を現し、うわさを打ち消し、顔がつやつやとしている」というタイトルで、簡単に報道した。当報道では、「皆さんの関心に感謝いたします。私は行方不明になったわけではありません。この私は以前よりも元気で健康的です。」や「欧亜昨日がわざわざ開いたうわさ打消しの会では、楊斌はメデイアと1時間にわたるやり取りを行った。何でも言うというわけではないが、質問でもっともはっきりした要点は楊斌がは本当に行方不明になったのではないということだ。」という内容が書かれた。
7月16日、香港「経済日報」は「欧亜農業は楊斌が持ち株を減るつもりはないといった。楊が10億元のローンを抱えるはずがない。」と発表した。当報道では、「欧亜農業(0932)は昨日(15日)再び電話会議を開き、基金社長に解釈を行った。二日間連続下落した株価はようやく昨日で安定になった。」という内容もあった。
これに対して、広州の「粤港情報新聞」は7月16日、田川、陳生による文章を発表して、欧亜農業の香港における記者会見に疑問を表した。当新聞は、「欧亜農業(0932•HK)は昨日の午後香港で記者会見を開き、このまえ会長の失踪についての報道を否定しようとした。楊斌本人も記者会見に出て、記者からの質問に答えた。楊斌の失踪に対するメディアの報道は確かに事実に合わなかったが、なぜ「神秘的に失踪したか」や欧亜農業は何によって発展をしたかという肝心な問題はやはり記者会見ではっきりされなかった。」といった。
7月16日、国内のもう一つのメディアである「北京現代ビジネス新聞」は社説を載せ、オランダ村が土地使用違反や脱税、申告漏れなどの疑いがあると指摘した。
7月16日この日、「南方日報」に属した「南方週末」の記者はオランダ村にやってきた。この記者は同じく何時間も冷たくされた。当記者が全国における「南方週末」の影響力を繰り返して説明したので、辺はようやく電話で楊斌に報告し、当記者が事実に合う報道をすると説明した。楊斌は午後五時ごろ、白鳥湖魚釣り廊下で接待し、釣りをしながら取材に応じるということに承諾した。その夜11時ごろ、私は楊斌に彼の別荘で面談しようと誘われた。楊斌は、辺さんが案内した「南方週末」の記者の取材の内容はすべて土地営業許可証、税務、住宅、ローン、それに工事金額などのようなありふれた問題で、頭にきたと私に文句を言った。私のほうからは何もいえなかった。
 「南方週末」の記事が発表したら、欧亜農業株価はまたくじけた。事件発生後、楊斌は周りの人にこういった。「「国際金融新聞」のたった一つの文章は私に10億香港ドルの損を、「南方週末」はまた私に3億香港ドルの損をさせた。新聞記者は無視できないな。」その後、香港「明新聞」は楊斌に電話をかけ、ばくちばに投資するかどうかと聞いた。楊はありえないと答えた。それに、このようなうわさはとんでもないと批判した。しかし、まさにその記事で、欧亜農業株価は再び15.35%も下落し、終値は1.82香港ドルしかなかった。楊斌はまた三億香港ドルを損失した。
楊斌はメディアの数少ない報道で、一気に16億香港ドルもの損をした。このことは楊の心を痛め、ニュース政策について反省をさせられた。しかし、もう遅かった。次々に「土地、税務、農業収入、ローン、工事金額の滞納」などのような深く掘り下げた報道がやってきた。ある意味では、用意のできたメディアの到来は「楊斌神話」の破滅を加速したといってもいい。鳳凰衛星テレビの曾子墨が初めて楊斌に取材したときは国内メディアが「国際金融新聞」の呼びかけで、すべてのメディアが楊に疑問の声を上げ、海外のメディアも行動を取ったときだった。香港「明報」は7月19日に「大陸メディアによると、楊斌のオランダ村の土地使用権は上級の同意を得なかった。」というスペシャル社説をのせた。
「明報」は香港や東南アジアではかなりの影響力を持つメディアなので、当紙の報道は欧亜農業上場会社にとっては大切である。そのスペシャル社説の全文は以下のようだ。
先週、「人民日報」に属した「国際金融新聞」が報道で税務局が人を沈陽に派遣し、欧亜農業(0932)会長の楊斌の申告漏れや土地使用違反の問題を調査した。それに続いて、「南方日報」に属した「南方週末」の記者は沈陽に調査に行って、沈陽市規格や国土資源局の関係者の話を引用し、国土部門はオランダ村の用地を認めなかったということを証明した。ほかに、当報道では、資金問題のため、オランダ村の工事は去年末では操業停止の状態になったと指摘した。
当新聞の記者は欧亜担当者に連絡を取ってみたが、締め切りまでにまだ連絡は取っていないという。同報道では沈陽企画や国土資源局事務室副主任の任鄧頌の話によると、楊斌は土地の使用権をもらったのはもっとトップ人物の首肯をえたのだからだそうだ。だが、楊のオランダ村不動産プロジェクトは企画部門に認めてもらえなかった。
当該報道では土地管理部門の関係者の話によると、今オランダ村は未完成の手続きをしていて、数十万元にものぼる国有土地金を納めなければならないそうだ。
オランダ村建築プロジェクトの主要下請け会社は南通第三建築工事会社だ。報道は南通社長の沈漠沖の話を引用した。「楊斌は資金調達ができず、欧亜実業はオランダ村プロジェクトで南通第三建築工事会社に多額の工事金額の借金をした。」南通第三建築工事会社員の沈志達は去年11月末まで、プロジェクトは操業停止になって、ほとんどの工事工作員は工事現場から離れたといった。
 報道によると、借金総額は少なくとも数億元もあった。去年南通第三建築工事会社が所在した江蘇海門市の市長や市委員会書記は沈陽に行ったが、何の成果も得られなかったという。沈漠沖は契約では、借金があったら、欧亜実業はコスト相当の価格でオランダ村不動産を担保にすると説明した。
「明報」のスペシャル社説は香港の個人株式投資家や読者の注目をひきつけただけでなく、「鳳凰衛星テレビ」も招いた。これは香港の有名なテレビ局だ。政治や財務経済に関心のある香港や東南アジアの観衆は常に鳳凰テレビをている。しかも、当該テレビ番組は中国大陸に進出し、同じく観衆に人気があり、観衆の目をひきつけた。
鳳凰テレビ撮影グループは7月20日に沈陽オランダ村に着き、有名な司会者である曾子墨が楊斌に取材するとの予定だ。その夜、楊は彼の別荘に私を誘った。楊はいつも夜11時ごろに、もし客があまり来なかったら、私のところに電話をかけ、時には私を夢の中から起こしたりすることもあって、運転手を私のところに行かせ、私を彼の別荘に誘ったりした。楊斌と私はおしゃべりしたり、一緒にテレビ番組を見たりした。楊は現代世界の発達した武器についての特別番組やアメリカの西部劇も見る。そのよる、おしゃべりをしていたら、楊は香港鳳凰衛星テレビが彼に取材するので、私に明日参加して、記者たちを接待するようにと頼んだ。
7月21日午前9時、鳳凰衛星テレビ撮影グループの一行三人は欧亜事務ビル三階にある楊斌の事務室に来た。撮影や録音担当の二人の男子、若くて美しい一人の女の子。あとで知ったが、撮影や録音は鳳凰衛星テレビが北京駐在の記者から選び、目の前のこの女の子は香港鳳凰衛星テレビから駆けつけたのだ。彼女は鳳凰情報諮問チャンネルの司会者曾子墨だ。男子は二人で撮影機材の配置、光、線を引くのに忙しい。私はソファーで曾子墨と簡単なやり取りをした。彼女は北京の人で、私とは同じ出身だったんだ。曾の親はともに北京のある有名な大学で教師をやっているらしい。親は彼女に「子墨」という名前をつけたのは、お父さんは曾という苗字で、曾子墨という名は春秋戦国のときの曾子、孔子、墨子から来たのだ。曾子墨は高校卒業後、大学一年生の時、トーフルを受けて、北京市で唯一の660点を取ったのだ。その後は高い点数でアメリカの大学――ダートマス大学に入った。曾子墨は卒業後、マンハッタンで国際的に有名な投資銀行であるモルガンスタンレーでアナリストをやっていて、多くのプロジェクトを完成したらしい。そのなかで、彼女が忘れられないのは新浪上場争奪戦であり、なんと高盛会社から奪ったとは。その後、曾子墨はこのたいへんいい仕事をやめ、鳳凰衛星テレビで情報諮問チャンネルの司会者をやり始め、財政経済関連の番組を担当している。曾にはアメリカの大学で財政と経済専門の学歴を持ち、モルガンスタンレーでのアナリストの経歴もあったので、財政と経済番組の司会者はたやすいことだ。それから、10月3日、私はオランダ村の楊斌の別荘で再び曾子墨と彼女の鳳凰撮影グループを接待した。同じく3人:曾子墨、女性一人、男子カメラマン一人だ。その夜、楊斌は手作りの料理で曾子墨一行を招待した。それは曾が楊にあった最後の夜といってもいい。楊斌が沈陽の警察に連れ去られたあと、私は鳳凰衛星テレビの関連報道に特別注意を払い、曾子墨がやっている財政と経済番組を見た。やはり彼女はほかの司会者とは違って、プロだといってもいいほどだ。それかれしばらくたって、この北京の女の子は文章を書くのもとても上手で、才能のある女の子だと知った。
曾が7月21日午前中正式に楊斌に取材を初め、私は取材の過程を撮影し、談話の内容も録音した。鳳凰衛星テレビは厳かで、まじめなテレビメディアなので、報道もそれなりに客観的で、冷静的だし、一部の小さい新聞社の記者のように、時勢に便乗し、軽率で、水増しなどのことはないと考えた。ここで、楊斌と曾子墨の当時の会話をそのまま以下のように書いた。
曾:楊さんと今度の失踪事件の報道についてちょっとお話をうかがいたいんですけど、楊さんはいつ国内に自分の失踪に関する報道があると知りましたか。
楊:7月10日ごろです。当時私は日本と北朝鮮で業務を処理しながら、観光していました。そのとき、私が行方不明になったという内容の電話を受けた。もともとは電話をかけて、帰るのを後にすると伝えたかったんですが、帰らなければならないようなので帰ったのです。帰った後の二日間で、私のところにたくさんの電話が来て、全部私を探しているというような電話でした。特に親戚や友達、それに基金社長や記者からも電話がありました。500から1000本までぐらいの電話は多分私のことを心配してくれる人がいるってことを示しているだろうと思います。
曾:先ほど10日に失踪に関することを知ったとおっしゃいましたが、確かに「国際金融新聞」で一篇目の報道は7月11日だと覚えていますが。
楊:私が間違えました。11日知ったのです。
曾:そのことを知ったら、直感はなんですか。すぐに帰るというお考えでしょうか。 
楊:そのときはあまり帰りたくはなかったんですけど、何しろやることもいっぱいあって、自分は素直な人だし、行方不明なんかにはならなかったと思っているからです。だが、電話をかけなおしたが、信じてくれない人がたくさんいて、私の声が偽ものだって思っているようです。それから、香港の会社や国内の会社の社長は早く帰ってほしいと願ったので、早めに海外の大切なアポイントメントを取り消して帰ったのです。
曾:当時楊さんはいったいどこにいますか。業務それとも観光、それに北朝鮮それとも日本にいますか。
楊:いくつかのところに行ってきました。まずは日本に、後は北朝鮮に行って、業務をやりながら観光をしていました。
曾:では、業務内容は欧亜実業方面、それとも欧亜農業方面の業務ですか。
楊:農業に関する業務です。
曾:楊さんが帰ってから、すぐ沈陽で一部の基金社長と面会し、特に国際金融新聞が出した四つの疑問についてだそうです。それでは、まずは土地使用権についてですが、「国際金融新聞」の報道では、楊さんたちの土地譲渡許可証のなかでは、当時の土地使用は総合使用ではなく、農業用地にしか使われられないようですが、今になっては状況が大きく変わったようですよね。
 楊:土地使用状況にあまり詳しくない記者がたくさんいると思います。中国土地法は以前の法律と新しい法律に分けられたのです。われわれオランダ村の土地は1998年前、1998年12月31日前のものです。そのとき国が執行したのは昔の法律で、私たちの土地はいつでも土地の性質を変えることができるのです。ここで証明のようなものをご覧ください。われわれは非法だといわれています。だが、一つ目の土地許可証は中華人民共和国が発したもので、法律に合うものです。不動産について、われわれも正当な手続きを通じてやっているのです。(証拠書類提示)一つは国家計画委員会で、沈陽市計画委員会が認めたもので、二つ目は不動産で、建設委員会の発行したプロジェクト趣旨文書が必要で、三つ目は建築プロジェクト工事許可証で、これらの手続きは土地許可証もふくめたものです。ですから、われわれの手続きは完全に合法的なもので、誰かが言ってたように非法ではありません。
曾:手続きの中では、これらの土地は総合用地として使ってもかまわないとはっきり提示していますか。
楊:そうです。総合用地です。
曾:けれども、一部のメディアはやはりそんなふうに報道しているようです。特に香港の「明報」、彼らはわざわざ沈陽市土地局のある張と申す関係者に聞きました。その関係者は去年から土地使用状況について若干調査を行いましたが、状況が複雑なので、いまだに結論は定着していないと漏らしたらしいです。これについて、楊さんはどういうふうに思いますか。
楊:国家の一部の主管部門が土地調査を行うのは私にとってノーマルなものだし、われわれにだけ向けたのではなく、遼寧省の百ぐらいの企業に対するものだと思います。
曾:「国際金融新聞」はもう一つの疑問を出しました。つまり、オランダ村の建設実施中は銀行からたくさんのお金をかりいれたということです。それに対して、実は欧亜農業部分では、つまり上場会社の中には負債はほとんどないのだとも聞きました。それはこの部分の負債はすべて欧亜実業方面にあるということですか。

2007年7月21日、香港鳳凰衛星テレビチャンネル司会者曾子墨ははじめてオランダ村に赴き、楊斌に取材をした。(撮影 関山)
楊:企業としては、負債がないということは必ずしもいい企業とはいえません。企業負債が30%~40%の割合はノーマルで、われわれの企業も負債を30%~40%の範囲にコントロールしています。沈陽市の工商銀行では確かにローンがあります。
曾:しかし、このローンは欧亜実業の名のもとのものですよね。
楊:欧亜実業の名のもとのものです。不動産や一部の実業の名のもとにあります。
曾:たくさんの情報が入り込んで来ました。「国際金融新聞」では、この新聞は負債という問題に対するのではなく、会社にはローン返済力があるかどうかについての報道があるのです。確かに、その報道では、彼らも工事現場で一回りして、たくさんの治安員が住宅の大部分は売れていないと実証したので、ローン返済力があるかどうかという疑問を持っているのです。
楊:後で取材が終わったら、曾さんたちをわれわれの不動産のところに案内します。不動産はまだ完全に建てられていなく、未完成のままでも30%売れました。70%は今年末までに完成させようとします。
曾:不動産の販売はいつ終わる予定ですか。
楊:不動産では約1億米ドルはあると思います。
曾:すべての工商銀行からのローンはいくらぐらいあるか聞いてもいいですか。メディアではさまざまな憶測があって、3.5億だとか、いろいろあります。混乱している感じです。
楊:工商銀行からは4億あまり借り入れています。
曾:4億あまりはほとんど不動産に使いますか。
楊:そうです。ほとんどは不動産に使います。
曾:ほかにも、みんなが関心のあるのは納税の問題です。特に最近ではたくさんの中国富豪の個人所得税についても論争が熱烈に行われています。それに、楊さんの失踪に関する関連報道では主な原因は脱税や申告漏れで、楊さんはそれらの問題を避けるために逃げたといっていますが、納税では、説明してもらえますか。
楊:去年フォーブスが100の大富豪をランキングして、私は第二位です。今年国もそれらの富豪に対して調査を行って、私のところにも調査がきたことは当たり前のことです。
曾:それでは、ご自身や会社にとって、いつからそういう調査を受け始めたのですか。
楊:今年の3月と7月の二回の調査がありました。
曾:いまではもう問題はないと証明しましたか。
楊:大丈夫だと思います。
曾:それはこの前の二回の調査の結果から判断を下したのですか。
楊:問題があるなら、香港に行くわけがないでしょう。脱税なら、自由に入国できるでしょうか。
曾:といいますと、いま楊さんが投資している会社は税収方面の優待政策に恵まれているのですか。
楊:欧亜実業はオランダ投資企業なので、主に不動産をやっています。欧亜農業は香港で上場した外資系企業で、現在は建設時期に当たっているので、所得税などの問題はありません。欧亜農業が香港で上場した後、中国では三割免税、半分免税といわれています。2003年から欧亜農業が納税しはじめたのは国家の規制によるものです。
曾:ご自身としては、個人所得税ではどういう状況ですか。
楊:私はオランダ国籍のなので、もしオランダをたってから180日が過ぎたとしたら、欧亜実業はまだ営業収入を発生していないので、個人所得税というものは存在しません。欧亜農業は香港の会社でなので、所得税は香港でおさめます。
曾:もしいつか中国大陸における欧亜実業が収入を得始めたら、欧亜実業本体の所得税、それにご自身も欧亜実業から個人的な収入があるはずですが、そのときはどういうふうに納税しますか。今一部の富豪のように、個人収入を低くし、合法的、正当だが、合理的な税を避ける方法を取るか、それともほかに何かしますか。
楊:もし企業の所得税が多い場合、個人のはそれなりに少なくなります。現在、李嘉誠を含めた世界の多くの富豪はこういう方法を取っています。
曾:それでは、失踪事件そのものに戻りましょう。一連の事件の中で、人々の注目を集めたところがあります。それは北朝鮮です。北朝鮮はまだ開放していないために神秘感をおびえ、そのほか楊斌が北朝鮮で金鉱を投資したようにいろいろなうわさが流れています。
私は市場で、一部のアメリカの投資会社がおびえている原因は北朝鮮と西洋との緊張した関係のせいだという言い方さえ聞きました。これについて、説明してもらえますか。
楊:私は何度も北朝鮮に行ったことがあります。中国の果物や野菜などは日本に輸出するのに非常に難しいのに対し、朝鮮半島では直接日本に輸出することができるのです。われわれは日本の市場における売買をやっているので、北朝鮮へは何度も考察に行ったことがあります。
曾:北朝鮮についてなんですが、実は現在金鉱だけに関するうわさしかないというわけではないのです。7月11日、香港「成報」にはこういう文章があって、ちょうど私の手元にもこの文章があります。その内容は欧亜農業の主は北朝鮮でばくち場を開こうとして、それに北朝鮮政府にも認められたということですが、それはいったいどういうことでしょうか。
楊:それはただのうわさだと思います。私は何回も朝鮮に行ったし、ビジネス市場にも詳しいし、何に投資するかはわかっています。それに、ばくち業については何もわかりません。どうやって投資すればいいのですか。
曾:それじゃ、今度の事件の背景はいったいなんだと思いますか。誰かが事件を計画しているとは思いませんか。
楊:状況がわかる前はコメントしたくありません。それに、私は中国第二富豪にランキングされたことについて後悔しています。うちのおばあちゃんは死ぬ前に私にこういった。「将来どんなえらい地位になっても、どれだけ稼いでも、中国ではあまりはしゃがないほうがいい。」それは当時あまり納得できなかったが、今になってわかったのです。私たちのような企業家は低調でいるほうがいいです。
曾:中国のたくさんの人にとって、楊さんは一夜で有名になったか、それともさっき言ってたように財産の中国富豪ランキングに入ったか、どちらかですが、その前にはなにをやってきましたか。
楊:私は1987年外国に行きました。オランダについて、勉強がおわったら、われわれは中国と西欧の服装貿易をやっていました。
曾:当時はどうやってそれらの機会を見つけたのですか。最近インターネットでははやっている文章があります。内容は財産富豪ランキングにおける中国富豪が金持ちになるいろいろな方法です。楊さんは一つ目の方法つまり早めに行動を取るという方式にランキングされました。たとえば、当時楊さんはポーランド市場に進出しましたが、ほかの人より先に行った感じで、そのときはこの市場は開放されると認識しましたか。

2002年7月21日、楊斌は沈陽オランダ村の事務室で香港鳳凰衛星テレビの司会者曾子墨の取材に応じました。(撮影 関山)
 楊:そのときポーランドは開放されたばかりで、ワルベンサが首相になりました。中国はWTOに加盟するのに15年間もかかりましたが、ポーランドは交渉もせず一日でWTO加盟に成功したのです。彼らは自分の防衛線を解いたわけです。われわれはそのチャンスをつかめて、ポーランド市場に進出しました。
曾:たくさんの東欧でビジネスをやっている人のさまざまな話を聞きましたが、楊さんはどんなふうな経歴を持っていますか。
楊:当時われわれが東欧で売買するのも大変で、主に安全性の問題です。その後やめたのも安全確保がなかったわけです。
曾:当時はポーランドでの初めての登録企業だそうですが、その後ごやめたのはくやしくないですか。
楊:そんなことはありません。
曾:もし、もう一度選べられるのなら、そんなに高いリスクを知りながら、やはりしますか。
楊:誰にも段階っていうものがあると思うんですがね。
曾:それでその金を持って、当時は。。私にはよくわかりませんが、金を持って中国に投資したのですか。
楊:いいえ、オランダに帰ったのです。
曾:その事件後はオランダ村プロジェクトの建設をはじめましたね。主に沈陽を選んだが、何で沈陽を選びましたか。
楊:いくつかの角度から考えて出した結論です。われわれは中国で温室投資を考察したた結果、黄河以南で温室プロジェクトは似合わないと考えています。なぜなら、夏は気温が高くて、温室は主に寒冷地域でやるからです。第二、遼寧省と沈陽市の指導者は私と知り合ったので、何とかして私をひきぬいたのです。
曾:一人の名前を言い出したいんですけど、海外のメディアは楊さんと遼寧省省長薄熙来の関係について関心を持っているので、もちろんお二人の関係はプライベートなものかもしれないですが、たくさんの海外の投資家もこれについて特別に注意を払っていますか。
楊:オランダ村は遼寧省最大の外資系企業で、規模も一番大きいので、薄省長が最大の外資系企業に関心を持つのはあたりまえのことです。が、私たちはプライベートな関係はないのです。
曾:遼寧省で初めて投資を開始したとき、薄熙来省長がその年大連にいて、ちょうど楊さんも大連で少し投資があって、お二人はそのときおしりあいになったのですか。
楊:大連には欧亜農業会社があります。
曾:政策の面で優待などはありますか。たとえば、私自身も一部のメディアの言っていること、欧亜農業のローンなどを聞いたが。楊さんは薄熙来省長との関係で優待措置を持っているのではないかという人もたくさんいます。
楊:薄省長が沈陽に来てから、私はローンを何もしませんでした。
曾:当時はじめて儲けたお金、それにその後の資本累積の過程の中で、ご自身は何も法律違反などの行為はしていなく、完全に白だと思いますか。
楊:そうだと思います。われわれのすべての発展は0からです。発展の途中、あれこれと問題はあると思うんですが、社会が色眼鏡で、小さい問題を誇張させてはほしくないです。
曾:筋によると、マイナス的な情報の影響は欧亜のこれからの上場の株価からも見られます。何回もの大きい波乱は若干の情報に関係するもので、それに、初めて出てきた最大の影響は今年の1月2日で、新年以後の一日目の取引の日です。そのとき、株価は20%と下落しました。一つは先ほど言いましたように、張化橋はみんなに持ち株を売ってほしいことで、もう一つはファーイースト経済評論の一部の文章で、そこに問題がいくつかあります。ちょっと説明してほしいんですが、去年の年末楊さんが公開した関連取引で、投資家のほとんどは関連取引なら上場会社が大株主から資産を買い取ることで、それによって大株主は現金ももらえるという考えを持っています。それについて、どう思いますか。
楊:ハイレベルの管理者に3000万元でこのビルを買い取ってもらいました。後でそのビルがその値段にふさわしいかどうか、一回りしてもいいです。
曾:ほかにも温室方面があります。(温室の土地)
楊:温室土地は欧亜実業が形式で募ったのです。お金がたくさんいるから、欧亜実業が欧亜農業に貸すという形で、関連取引を行いました。しかし、地価はアメリカ資産評価会社が行ったもので、われわれがやったわけではありません。
曾:昔言ってたようですが、欧亜農業が将来ナスダックに上場し、あるいはアメリカで上場してほしいです。楊さんは会社のCEOをやめたりするような行動についての憶測があります。楊さんは主に上場に重点を置くか、それとも不動産にですか。
楊:いいえ、そんなことはありません。不動産についてちっとも詳しくありません。不動産にはそれなりの社長がいます。
曾:それでは、欧亜実業をやる目的はなんですか。
楊:東北地方は観光項目にかけているし、私自身も社会に何か残したいと考えています。
曾:不動産で、あるいは実業方面の投資の規模はどのぐらいですか。
楊:観光については約18億元です。
曾:当時の18億元は農業も実業も含めたものですか。
楊:実業は私個人のもので、農業は沈陽だけではなく、全国や海外にもあります。実業における投資は大きくて、不動産は今すでに完成しました。今は主にテーマパークというところです。海外の影響も考慮に入れながら、われわれはこの部分の株式を部分的に外国投資家に譲ることにしました。
曾子墨の取材は一気にしたのではなく、途中で何回もの短い中止があった。私の記憶では、欧亜会社CEO部門の係員は香港や海外からの大切な電話があると伝えたり、楊斌が自ら一休みを求めて、タバコをすいたかったりすることもあった。楊はタバコが肌身離さずの愛煙家で、「ツリーファイブ」しかすわなかった。
取材が終わりに近づこうとしたとき、欧亜農業の役員である趙永初は私を呼び出して、コピーを渡した。それは溢星財政経済広報会社が送ったもので、香港「成報」が発表した小さい文章――「楊斌は北朝鮮のばくち富豪に」という文章だ。もとの文章は広州の言葉で書かれたもので、長くはないので、ここで共通語に変えて載せる。
最近不利な情報に悩まされた欧亜農業(932)の会長の楊斌は日曜日、香港で彼が北朝鮮や日本に行くのはビジネス秘密だといった。なんの秘密だと思う。私の友達の一人はプライベートで私にこう話した。楊斌は北朝鮮にばくち場の建設をしにいったって。計画は北朝鮮政府の承諾を得て、土地ももらった。
投資はいくらぐらいあるのかについてだが、友達はこういった。具体的な計画はまだなくて、それは楊斌がオランダ村プロジェクトに縛られ、手元にある資金は充分ではないためだ。5月末あるいは6月初は台湾に投資を誘致し、台湾で資金を得ようとした。彼は台湾の権力のある方の援助をもらったが、どうなるかはまだわかっていない。
実は楊斌はかなり手腕のある人だ。中国よりも保守的な北朝鮮でばくち場建設の承諾を得て、たぶんかれはばくち場は就職機会を作り、経済発展に役立つというメリットを発見したのかもしれない。しかし、北朝鮮でばくち場を開くと、その対象は中国の人なので、中国政府が慶ぶわけないでしょ。道理で楊はこのけんを公にしたくない。
楊斌個人はばくちが好きな人だが、ばくち場はやらない。前に彼に聞いたが、ばくち場は儲かるが、将来の新義州特別区長官として、商業ビジネスはやれなくて、ましてばくちばはやれないと答えた。「これからはばくち場にも入れないな。」と残念の気持ちがあふれた。
趙永初は私を呼び出して、「鳳凰」の取材が終わったかと聞いた。もう終わったと私は言った。「成報」のこの「楊斌は北朝鮮のばくち富豪に」という文章のせいで、欧亜株価は絶えず下落し、これを機にこの件について「鳳凰」に返事したほうがいいじゃないかって提案した。私は部屋に戻って、楊斌を事務室の外に呼び出して、趙とかれのやり取りを進めた。楊は聞いて、部屋に戻って「成報」のけんを曾子墨に伝えた。曾子墨は「ばくち場開設」というコラムを設置した。
幸い、やっと「基本法」国内外のメディアの取材が終わった。特に、香港のメディアは毎日のように楊斌の言語行動を追っている。欧亜農業株価は下落を続けることで、楊斌は怒こっているが、当り散らすところもなかった。国内のメディアの記者はオランダ村周りのホテルに集まり、時にはオランダ村に様子を見に来て、楊斌に関する情報を得ようとした。
国務院総理朱镕基は遼寧に視察した。筋によると、朱は楊斌およびオランダ村について様子を聞いたという。沈陽市政府の局長は自らオランダ村に行って、楊斌に会った。会うときは上級から楊本人の経歴情報を必要としているといった。楊は具体的な状況がわからなかったが、詳しい履歴を書いて局長に渡した。
この前、国家税務局と国土企画部門は遼寧に行って、省および市の税務局と国土企画部門とともにオランダ村について調査を行った。現在、彼らはまだ沈陽にいて、調査を進めている。
これらの情報について楊斌はかなり怒っている。胸の怒りがますますたまってきます。しかし、外の人や会社の管理の人に対しては何気ないふりをしなければならない。
一方、新義州特別区基本法について、双方は最終的にまだ結論を出していない。それで、楊斌は朝鮮側にいつ契約を結ぶかと催促した。ようやく、朝鮮方面から情報が入って、朝鮮側代表団はこのごろ沈陽に再び行くことにした。
8月3日、朝鮮側代表団は金東奎をはじめとして、沈陽についた。代表団は7,8人しかなく、これまででは交渉人員がもっとも少ないときだが、腕利きがしっかりして、地位がもっとも高い一行だ。
朝鮮側代表団がオランダ村についた当日、楊斌は白鳥湖熱帯雨林のガラスホールで宴会を設けた。 楊斌代表団の団員も今回ではもっとも少なくて、楊斌、馬寧、翕永曦、佟連発、王恵東、王諾、関山など七人だ。今回の会議に参加しなかった楊斌代表団の団員は駱偉健、周放生、李粛、楊大勇、崔揚などがある。
会議の日程は8月4日から8月13日までの10日間だ。8月14日、朝鮮側代表団は沈陽を離れ、飛行機でピョンヤンに帰った。
会議はグループに分けられた。つまり、「基本法」グループと「協議書」グループで、それに途切れ途切れ行ったのだ。主な内容は最終的にこの二つの法律文書の内容と文字を定めることだ。
「協議組」は主に楊斌、馬寧が担当した。
朝鮮側は金東奎をはじめ、二人の代表が参加した。
「協議組」は主に新義州特別区の将来の経済建設の問題についてだ。港の建設についての論議をしているうちに、馬寧は基本法グループの王諾を呼び出した。王諾は港企画を担当していて、中国で有名な港設計専門家だ。彼らは王に詳しく聞いた。港建設規模や前景、資金はいくらいるか、どうやって資本誘致するか、対象はどんな人かなどがある。投資相手について論議をしているとき、香港の有名な投資家に来てもらってもいいかなという提案を出した人がいる。
大鶏島での新しい港の建設について、王諾は自ら実地を考察したことがなくて、そこの状況がわからないといった。たとえば地理位置、沿海の海水の深さ、水流、道路状況などがわからなかったら、港建設の投資や建設速度は予測できないといった。したがって、中国の港設計、建設の一般規律に従っておおむね紹介するしかない。
だが、その後朝鮮側はやはり王諾などが大鶏島に行って、実地考察することを手配した。
王諾はその後私にこういった。「9月10日、私たちは楊斌とピョンヤンで新義州特別区基本法の決議を待っている。北朝鮮側から私が大鶏島に行って、港建設の実地考察することを手配したと知らせた。北朝鮮側は桂勝海副委員長が追随し、ほかに朝鮮の女の通訳がいる。彼らはベンツを運転している。私と喬勝利は二人でもう一台のベンツにのって行ったのだ。朝4時ごろピョンヤンで出発し、昼ごろには平安大通りの大鶏島についた。」
 「当地の政府指導者はとっくにピョンヤンからの知らせを受け、大鶏島の道の角で私たちを待っていた。当地の委員長は私たちの到来を歓迎し、広くて、現在は荒れている島にまで案内した。私たちは臨海の堤に行って、その堤は全部石で作られた十数キロメートルにも上る海面囲いの堤だ。現在は大きく裂けているところがあって、犬の歯みたいなもんで、明らかに海水に押し流された跡が残ったものだ。」
「当地の政府関係者は私たちを島のうえにある高いちんにまで案内した。そこではピクニックの準備もできてあり、全部当地でつかまった海洋生物だ。桂副委員長は人に彼のベンツのトランクからビールやサンドイッチなどを取り出してもらった。北朝鮮側は両方とも昼ごはんを準備したので、私たちは食べながら話を進めた。」
 「当地の委員長は様子を一応紹介した。この島はもともと鉄山半島に属し、全部で50平方キロメートルの面積で、坦々としている。当時は浅海の海面を囲って田をつくるため、何年間をかけて半島と島を連結するための堤、道や海面囲いの堤を建設した。また、アルカリ地を改造し、やっと数十万畝で、境の見えないほどの陸稲ができた。建設完成後、金正日将軍はここに視察した。だが、数年前の自然災害のせいで、暴雨が止まらず、川も氾濫し、強い風が波を打ち寄せ、海面囲いの堤が押し流されたのだ。ここはすべて海水や雨につかり、稲の田も破壊された。海水が引いた後、ここはアルカリ地になった。それは昔数十万畝もの田だったんだよ。本当に惜しかった。当時の海面囲いの堤を回復させるために、われわれは2年間に渡る再建をしたが、当地では労力や物資が有限なので、はかどりは遅い。」
「当地の政府関係者は桂副委員長がここは港に改造すると聞いて、とてもうれしいようだ。彼らが海岸の状況について、島に臨む海水の深さは普通20メートル近くで、外に延べるにつれて、深くなり、水流も急になると紹介した。」
王諾にしてみれば、大鶏島は自然条件がよくて、天然の良港だし、一万トン以上の貨物船が泊まるみなとにはなれる。しかも、この50平方キロメートルの平らな土地は臨海工業もやれるし、工業地区全体までここに入れてもいい。大鶏島は前途のある島で、ここから新義州特別区にまでの封鎖式の30キロメートルの高速道路を建設してもいい。
「基本法」グループは主に佟連発教授、王諾などが参加している。朝鮮側は許明奎副委員長がいて、金基秀、朴成浩などが通訳としてそばにいる。
朝鮮側の代表は主に三つの条款の修正についての問題を出した。
 一、特別区の領空や海域は特別区に属しせず、特別区内の民用航空、海運は領空や領海を利用してもいい。
 二、最終公判権、特に死刑は中央に設置するべきだ。
 三、区の旗、区のしるしの設計方案。
これらについて、佟連発教授はこう見ている。
一、領空、領海が国家のものという点では疑問はないが、特別区が領空や領海使用での便利さを確保すべきだ。なにしろ、特別区は外国の民営航空機構や外国の空便会社と協力し、特別区の水運や海運の滞りなく通じることを確保するからだ。
二、最終公判権は特別区が持つべきだ。また、特別区の最終公判法廷を持つべきだ。これは国際慣例だ。
三、二セットの区の旗としるしの方案はみた。一つは赤と青の混合で、もう一つは青を基調とした。私はこちら側の代表たちと研究したあと、青の基調はいいと思う。
朝鮮側の「基本法」の改定原稿にはこのような条款がある。つまり、特別区文化という章の中で、明らかに「健康的ではない文化を禁止する。」というのを指摘した。王諾や佟連発はこれに異議を唱えた。二人は、「健康的ではない」という用語は精確ではなく、国や民族によっては違った文化や理解を持っているから、特別行政区であるなら、市場経済を実施しているので、多くの外来の文化、西洋文化も含めて、その存在を認めるべきだと考えた。ですから、朝鮮側にこの条款を削除したほうがいいとのアドバイスをした。
北朝鮮側の許副委員長などは王諾や佟連発の説明を聞いた後、この条款の削除には理解し、実行すると同意した。
その後、佟教授が私にこういった。「朝鮮側の代表は基本の最終改定や文字の使い方についてとてもまじめだ。」
そうですね。昔は条款の内容しか討議をおこなかったが、今回はどの文にもまじめに練って、本気を出したらしいと私は言った。
 今度の最終稿では、基本法は彼らの議会の審議に任せることになった。特別区の批准はすぐだなと佟連発は感慨した。
佟院長、今回の話は後があると思っていますかと王諾は聞いた。
もちろんだと佟はうなずいた。
私たち3人は「ただ時を待つだけだ。」と思った。「時」はつまり朝鮮民主主義人民共和国最高会議の批准だ。
幸い、何ヶ月の努力が実った。「基本法」は基本的に脱稿できた。基本法もようやく完成した。
私たちはそれでほっとした。体が軽くなったような気がした。


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