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第十章 楊斌が特別区行政長官につくと誓った10日間前後

「このごろピョンヤンにいってくる。」
北朝鮮代表団がでてから、楊斌はオランダ村建設の整備に忙し。このごろ、「オランダ村は工事停止になった。」「楊斌は資金を朝鮮投資に移す」というようなうわさは絶えずでてきて、激しくなる傾向がある。沈陽市と遼寧省にまで波紋を広げた。政府機関で働いている友達が電話でそのことについて聞いた。楊斌は苦労して説明した。「私はお金をすべてオランダ村に使い、このような家業は私一人で離せるのか。みんな、なんで私を信じてくれないの。」
 いくら説明しても無駄なので、行動で証明するしかない。が、このとき楊斌は資金が足りなくて、もっと多くの資金を出せなかった。建設会社から借りた一部の工事金額は比率にしたら工事費用の30%とそれほど多くはない。中国建設工事現状から見ると、工事金の70%を払えるのはいい企業だといえる。しかし、欧亜企業が職員には2ヶ月分の給料を払わなかったし、海牙ホテルの職員もほとんどは当地の農民で、運転手さんも沈陽市住民なので、こういう職員に給料を払わないことはきっと人から人へと、ウイルスのようにオランダ村や沈陽市にまで広がった。欧亜企業トップ管理の人の正当な公費が楊斌がサインして許可を下しても、会計主任冯朔のところに回っても、公費としては認められない。この青年会計の横暴さに、トップ管理の人はかなり怒っている。それだけでなく、欧亜会社のギャラを取らない楊斌代表団の人でも、往復航空券の費用を公費としたくても、楊がサインしてもやはり追い返された。彼女は「誰だろうと、私の言うことを聞かねばならぬ。公費で落とすかどうかは私が決める。楊斌会長がサインしても無駄だ。お金がない。」とここまで言った。楊斌代表団に対してはこういう態度なので、まして大きい工事隊や小さい工事隊の催促にはまさに悪い態度を取った。悪影響は火に油を注ぐように、楊斌のイメージを大きく損なった。楊斌がつかまって、冯朔は偽配給切符作りなどの疑いで警察に拘束された。
資金が足りなくても、オランダ村の断片的な工事はやはり行われる。8月中下旬、私は楊斌とともに工事現場を視察した。彼は自らジープを運転して、オランダ村を回った。オランダ村北口ガソリンスタンドの前の瓦礫、商品ビルの街中の庭の改修、道端の芝生、建てる予定の五つ星ホテルの塀の取り除き、ゴルフ場の芝生など。オランダ村大通り両側の建築と商品ビルの辺は一気に小さな変化があるようだ。オランダ村は生き返ったようになった。楊斌は事後の手当てをしたかった。だが、実を言うと、当時彼は心を決めて、土地変更税を納め、実業会社の問題を処理できたら、また緊急広報をしたかったら、まだ遅くはないといってもいい。少なくとも、残局はこんなに悲惨なものではなかった。
楊斌と彼の「新義州特別区交渉と建設」の顧問たちは今は一番緊張しているといえる。交渉が終わって、朝鮮側はいつ「基本法」を通過させるかについては、みんなは何も知らない。楊斌としても緊張で仕方がない。一方、不利な情報が飛んできた。まずは国家税務局と省、市税務部門が作業グループを派遣し、オランダ村の帳簿を調査していることだ。楊斌は「フォーブス」ランキングの10位前に入った富豪の税務はすべて調べられるが、彼は外資で三年間の免税優遇を有して、後1年があるといった。不動産土地変更手続き、たとえば土地許可証や不動産販売許可証などが全部ある。(私は確かにこの目でこれらの許可証や手続きを見た。)「未払いの税は確かにある。土地変更税を納めればいいんでしょう。市政府は私に一億元を貸した。それでもまだ足りないのか。1000万の高額の税、4000万元の土地譲渡金は全部引かれた。市政府は数千万元も私に返さなければならないよ。」楊斌は私にこういった。それについて、私は李剛と石軍この二人の副最高責任者にも聞いた。李剛は確かに市政府は楊斌から約8000万元も借りたが、いまだに返していないといった。土地部門は楊斌に変更土地税を払ってほしい。楊斌は市政府に貸したお金を返してほしく、それを使って追加して納めるつもりだ。市政府は楊に先に土地変更税を払わせ、8000万元あまりはこれから楊に返すって言う意味だ。楊斌は一つは資金も足りなくて、二つはこのお金は返してくれないと心配し、4000万元の土地変更税を払わなかったのだ。最終的に、省、市政府指導者は土地変更税のことはあとにしてもいいと協調して、土地許可証や不動産許可証はまだ有効であるといった。この件についての経過は、その後メディアが攻撃する目標の一つとなった。脱税や申告漏れ、それに変更農業用地を使って不動産をやるというのは楊斌の大きな罪となった。楊斌は法律知識に対する欠陥、中国社会に対する深層的な理解にかけ、省市指導者の優待政策にだけ希望を持つことで、この問題の処理で失敗したのだ。これらのことは彼の失敗のもう一つの要因となった。
もう一つの不利な情報は、この件を知った台湾の劉泰英とマレーシア総理マハティールの息子はともに朝鮮関係部門のところにいって、新義州特別区のプロジェクトをしたいと申し込んだことだ。この情報は台湾や香港の友達から聞いた。私が楊斌の顧問に聞いたら、彼らも友達からこの情報を得たという。もしかして、新義州特別区の件は失敗するのか。ほとんどの顧問は「朝鮮代表団」の代表は朝鮮政府各部門の要人で、数ヶ月もの接触から見ると、彼らはまじめで、よくないことをする人間ではないとみえた。私はオランダ村に住んでいるため、沈陽にいる佟連発教授や大連港設計院の王諾院長と触れ合う機会が比較的に多くて、時にはみんなと問題について論議をしたこともある。佟教授は朝鮮代表団の皆さんが基本法に対して、まじめに論議しているといった。王院長は朝鮮が踏み出した一歩を高く評価して、朝鮮人民に深い感情を持っている。私は楊斌の顧問の中で、最も年上で、前代の革命家にも教わったので、そういう愛国主義や国際主義精神は深く根を下ろしたといってもいい。それに、私は北京で働いて、金日成将軍が中国を訪問するときの歓迎会にも参加したことがある。2002年4月、ピョンヤンで2回も金正日にあって、リーダに対する朝鮮人民の心からの深い愛を感じた。ですから、私と佟連発と王諾はみんな朝鮮に対して厚い感情や信頼感を持っている。佟と王は私がオランダ村にいて、楊斌ともよく話すため、私に何かしてほしい。それで、ある日の夜、私は楊の運転手沈良からお客さんは出たと知ったので、楊のところに駆けつけた。楊のロビーについて、タバコをまだすっていなくて、楊からうえで「関か、早くうえへ。」と声をかけられた。
私は二階にあがった。楊斌はシャワーをあびたばかりで、ソファーに腰掛けて沈良にマッサージしてもらっている。時に足と太もも部分だ。沈良は彼の運転手でもあり、アマチュアマッサージ師でもある。沈良は河北農村からの運転手さんで、温厚で素直で、それに運転技術はとても優れている。
沈良がお茶を入れてくれた。
「朝鮮方面何か情報はあるか。」と楊斌に聞いた。
「いいえ」と彼は答えて、すぐ「朝鮮で基本法は通過できるのかな。」って私に聞いた。
 それで、私は佟教授の見方をかれに伝えた。佟は朝鮮側と一字一句で基本法の内容について討議した様子から見ると、朝鮮側の代表はまじめで、責任感のあるひとのようだ。肝心なところは朝鮮最高会議と金正日将軍が認めてくれるかどうか、いつ認めるかという問題だ。
楊斌はタバコを点し、「私もそう思う。だが、そこにわながあるって身内の人からも薦められた。」
私にはわかる。わながあるっていうのは楊斌が遼寧にいる一部の友達やビジネスマンだ。しかし、楊斌が新義州特別区行政長官になったあと、彼らはすぐ楊のところに来て媚を呈して、楊に新義州で便宜を要求し、利益を分けたい。楊斌が言ってた「身内の人からも薦められた。」の中の身内の人とは彼の顧問だ。この顧問は楊斌に商業規則にしたがって、行動し、お金を払ってから行動を取ってほしい。数ヶ月後朝鮮側と会談のとき、交渉代表たちは楊からお金をもらわなかった。その顧問は楊は商業態度が不真面目だといった。ほかの代表は「事業をやるのを大事にしている」が、楊の前でお金の問題はけっして触れなかった。もちろん、ビジネスマンから見ると、この顧問はまちがっているとはいえない。
王諾が何度も言った。「私が楊斌に手伝うのはかれのお金を狙っているわけではない。私たちが大事にしているのは新義州特別区のこの大事件だ。このことに参加できるだけで満足しているよ。」
私は王諾の話を楊斌に伝えた。楊は聞いてとても感動して、私にこういった。「わかってるのさ。この数ヶ月もの間、みんなは大変苦労した。私としてもみんなにお金を払いたい。関、外の人には言えないが、私はこのところ資金が足りなくて、資産回転も難しい状態だ。特別区がお金を稼いだら、先にみんなのこの間の給料分を払う。みんなには無駄な努力や苦労はさせたくない。」
私は楊斌を慰めながら、こういった。「皆さんはお前のお金のためにやってきたのではない。喬勝利の現在一ヶ月の収入はあんたが約束した給料の何倍もある。何で彼は来たか。それは、彼が新義州特別区をやるのは大事件で、東北亜地域の平和と発展にとってはいいことだと思っているから。翁の収入も一つのプロジェクトで数千万元を稼げ、あんたの何十万元の年俸なんか気にしていない。それに、佟院長や王院長らの収入もけっして少なくないのだ。」
 楊斌はきいて、まじめになってこう言った。「新義州特別区のことがうまくいったら、その功労は私一人のものではなく、みんなの努力の結果だ。私はみんなのもとでバイトをしていただけだ。新義州特別区では、たくさんのことをやらねばならぬし、私たちもそれぞれ得意分野があるし、みんなが長所を発揮して、何かしてほしい。」
私は楊斌にマレーシアマハティールの息子と台湾の劉泰英が積極的に新義州特別区プロジェクトを得ようとしているということを彼に伝えた。彼は聞いて少しの間黙り込んだ。楊斌はもっと自信があるかもしれない。自分こそ朝鮮に選ばれた特別区唯一の候補だと信じているだろう。少なくとも、彼は実際に行動で朝鮮人民を助けたことがある。しかし、私はやはり彼にこういった。「「あとは時を待つだけだ。」というのは、「基本法」についての交渉がもう終わって、あとは朝鮮中央が許可を下すのを待つだけだ。もうすこし頑張ろう。」
彼の家を出る前に、私は軽く茶たくを叩いて、「楊、チャンスは一度見失ったら二度と来ないよ。」といって下りた。
ロビーまで行ったところ、上から「しばらくたったらピョンヤンにいってくる。」って楊斌が言った。
これは2002年8月末のある夜だ。
楊斌は先にピョンヤンに飛行機で着いた。
9月4日午前中、楊斌は香港についた。
9月5日午後、楊斌はマカオに行って、おともの人は馬寧、喬勝利だ。
9月7日午後6時、楊斌、馬寧、喬勝利は専用機で朝鮮ピョンヤンに着いた。一時間前に、王諾などがもうピョンヤン牡丹峰国家ホテルに着いた。
「私たちは9月7日新義州からバスでピョンヤンに行った。牡丹峰国家ホテルに着いたときはちょうど午後5時だった。すこしたったら、楊斌らが着いた。」①
王諾はかれはピョンヤンに来てくださいという知らせを受け来たのだ。当時は何しに来たかわからなかった。楊斌も「基本法」がいつ通過するかはしらないといった。
9月8日、翁永曦がピョンヤンに着いた。
9月9日、朝鮮民主主義人民共和国54周年の国慶の日だ。朝鮮政府は国慶招待宴会を開き、楊斌も誘われた。
翁永曦は当日北京に飛行機で帰った。発つ前に、彼は楊斌に次のように言った。宴会の時、中国大使がかならず朝鮮国慶宴会に来る。中国朝鮮駐在大使を見たら、かならず大使に新義州が特別区を建てることや、金正日は楊斌を特別区行政長官に任命することを伝え、また大使に中国政府にもこのことを伝えてほしいとか、中国政府の支持を得たいなどだ。
楊斌が朝鮮国慶宴会から帰って、馬寧などは「中国大使に会ったか。」と彼に聞いた。
楊斌は中国朝鮮駐在大使は公務で北京にいて、宴会には出席しなかったが、中国朝鮮駐在公使代表大使は宴会に出席し、ほかにも中国新華通信社、人民日報朝鮮駐在記者張錦芳、趙嘉鳴などがきたといった。
楊斌は彼はたくさんの宴会席の中で、人群れの中で、中国朝鮮駐在公使を見つけたといった。彼は進めて公使に自己紹介をした。公使は「知っていますよ。テレビで見ました。香港鳳凰衛星テレビの曾子墨は楊斌さんに取材したニュースです。楊さんと曾さんは40分ほど話しましたね。」といった。楊斌は公使に中国政府に朝鮮は新義州で特別区を設置し、彼自身は特別区行政長官になり、中国政府の支持を得たいと伝えてほしいといった。

2002年9月24日、「協議書」の儀式はピョンヤン文化宮二階の会議室で行われた。写真の中では、前の列で左から一番目は楊斌で、右から一番目は朝鮮対外経済協力推進委員会委員長の金勇術だ。
9月11日、喬勝利の奥さんは病気で入院したことはピョンヤンに伝えられ、喬は翌日急いで深圳に飛行機で戻った。翁と喬は相次いでピョンヤンを離れ、楊斌、馬寧、王諾、それに沈陽から駆けつけたばかりの佟連発教授だけが残っていた。②
「私は9月11日の午後3時に沈陽から飛行機でピョンヤンに行ったのだ。飛行機から降りて、すぐ朝鮮側の人が迎えに着て、それで車で大同江の埠頭まで走った。ヨットにあがって、楊斌、馬寧、王諾、喬勝利は全員いた。これはピョンヤン市市長が開いた小型ヨット宴会だ。ピョンヤン市長はまず挨拶をし、楊斌CEOやほかの皆さんがピョンヤンにきたことに歓迎の意を表した。楊斌は感謝の言葉を述べた。みんなは焼肉をしながらお酒を飲んだり、歌ったりした。陽が暮れかけたときみんなは牡丹峰国家ホテルに帰った。」③
佟連発は彼がピョンヤンに着いた光景を紹介したとき、以上のように言った。
9月12日、朝鮮最高会議常務委員会は「朝鮮民主主義人民共和国新義州特別行政区基本法」を通過したが、それをすぐ楊斌につたえなかった。
9月13日から17日まで、楊は彼の顧問たちと一緒に、ただ一日中牡丹峰国家ホテルでおしゃべりをしながら、「基本法」の通過を待っていた。
9月18日、朝鮮側は正式に楊斌に朝鮮最高会議常務委員会は「新義州特別行政区基本法」を通過したので、そのうち、協議書を締結し、朝鮮政府は正式にこのことを公にするつもりだとか、またしばらくして、楊斌は朝鮮最高人民会議に就任の誓いをすると知らせた。
楊斌はそれを聞いて、笑った。彼は目を細くし、金社長の手をつないで、「金社長、この数ヶ月はお疲れ様でした。朝鮮の友達もおつかれさまです。今晩私は牡丹峰ホテルで宴会を設けるよ。」と言った。
18日の夜、朝鮮側代表団の人は誘いに応じて、牡丹峰ホテルに来た。楊斌は彼の顧問たちと酒を勧めたり、笑ったりして、双方は大いに盛り上がった。④
楊斌はやっと新義州特別区行政長官になった。一年間あまりの心血、不安、綱渡りのようなばくちに彼は確実に勝った。いや、これは一年間じゃない。これは一年たってまた一年、数十個もの一年だ。これは「孤児から特別区行政長官まで」の長い30年間のばくちだ。楊斌は自分が勝ったといった。このとき、彼はすべてを忘れ、自分が特別区行政長官だということだけを知っている。
この夜どれだけのさけを飲んだかは覚えなかった。部屋に帰って、オランダライデンにいる奥さんの潘朝蓉に電話したことだけは覚えている。なにを話したか、それも忘れた。私、楊斌、君の夫は今新義州特別区行政長官だということを潘朝蓉に伝えたことだけはおぼえている。
彼はその後電話で何を奥さんと話したかは覚えていないが、子供をつれてすぐ飛行機でピョンヤンに来てといったことしか覚えなかった。潘朝蓉はそれを聞いて、胸をなでおろした。彼女は急いで飛行機でマカオに飛んで、そこから乗り換えてピョンヤンに着いた。
 楊斌はその夜どれだけ酒を飲んだかは覚えなかった。あくまでもビジネス業界で鍛えた人だから、宴席ではある程度酒は飲める。彼は潘朝蓉に電話をかけてから、すぐ「溢星広報会社」の楊莹莹に電話をかけ、外国の記者をリードして22日までにピョンヤンに着くようにと言った。
「外国の重要なテレビ局や新聞記者を全部誘って。ロイター通信社、AP通信社、ニューヨークタイムズ、日本TBC、共同通信社、読売新聞、BBC、英語南華朝刊、それに鳳凰衛星テレビ局も。」
「費用については。」
「私が出す。」
「500万香港ドルはいるけど。」
「問題ない。」
楊莹莹は楊斌の期待どおりにできた。彼女は外国の有名なテレビ局、新聞の記者を全部ピョンヤンに誘った。実は、ずっと神秘的であった朝鮮国土の土に踏んだチャンスを持ち、ピョンヤンでこの目で世界的な爆発性のあるニュースを見て、取材することは外国の記者にとって願ってもないことだ。
「楊莹莹はこのためたくさん儲けたな。」事件後、楊のそばの人は私にこういった。
楊斌は酒を飲みすぎて、鳳凰衛星テレビ局の曾子墨に電話をかけ、特別区行政長官の就任儀式に曾を誘うことは忘れなかった。
曾子墨はその後当時の状況をこういった。
「2002年9月18日深夜、もうすぐ12時のころ、私は再び楊斌からの電話を受けた。今度彼は挨拶抜きで、おしゃべりもなしで、直接私に「曾さんか、私は今ピョンヤンにいる。朝鮮の新義州は香港みたいな特別区を設ける。私が行政長官だ。そのうち就任儀式が行われるが、そのときは来ていただいてもいいかな。」と言った。」
「9月22日、私はCNN、BBCのたくさんの記者たちと一緒にピョンヤンに着いた。」
「翌日の午前中、楊斌は私たちがすんでいる高麗ホテルに着いた。たくさんの人の応援の中で、彼は意気が盛んで、胸を張って新義州の記者会見場に入った。」
「そのとき、楊斌は腰掛けながら、笑って私に手を振って挨拶した。「着いたか。どうだった。夕べちゃんと休んだか。」といった。」
「鳳凰に対しては、楊斌は確かにほかのテレビ局より好きだ。みんなの前で、彼は素直に「始めての質問のチャンスは鳳凰衛星テレビ局にあげる。初めてのスペシャル取材も鳳凰衛星テレビ局だ。」と言った。」
楊斌から朝鮮に特別区行政長官宣誓儀式に参加してくださいと誘った。2002年9月19日の夜11時ごろ、ベッドに横になった私はその日の「参考情報」を読んでいた。第一面の当代見出し-「朝鮮の外交姿勢は東アジアにチャンスを」は大きく私の興味をひきつけた。特にシンガポール「海峡時報」9月18日には、エーリック・テイオーという外国人の作者が書いた文章がある。彼は朝鮮の外交を評価するとき、こういった。「意外な内部改革、国際社会と朝鮮内部インタラクテイィブの状況の中で、北朝鮮は隣国と接触をはじめた。昨日、日本首相小泉がピョンヤンに歴史的な訪問を行った。」

2002年9月23日の午後5時、「協議書」サイン儀式はピョンヤン人民文化宮において行われた。写真では、楊斌は朝鮮対外経済協力促進委員長の金勇術と「協議書」の本文の互換をしているところだ。
私はとっさに8月23日ロシアのプーチン大統領と朝鮮民主主義人民共和国労働党書記金正日との会談を思い出した。プーチンの「朝鮮札」は一石三鳥といってもいい。まず、ロシア側としては、アメリカ、日本、韓国の三国が北朝鮮との対話の面で調停役割を果たしたいと考えている。それから、経済分野では、ロシアがもっとも関心のあることはシベリア鉄道と南北朝鮮鉄道との連結で、シベリアオイルガスを北朝鮮をへて韓国に運送することだ。また、北朝鮮に労働力ではなく、現金で債務を返してほしいという狙いもあった。それらのことを実現させるためには、力を入れて北朝鮮の経済改革、対外開放、アメリカや日本、韓国から資金の導入を積極的に促進すべきだ。そうやって、双方の債務難題も解決できる。プーチンはまさに「朝鮮札」を最大限に使って、一石三鳥の目的を果たそうとしているのだ。
 金大中、プーチン、小泉は次々に金正日と会うなかで、中国はどうなのだろう。何度も朝鮮を訪問し、そこの小さなことも見逃さない作家の私は、耐えられなくいらいらしてきた。
だが、エーリック・テイオーの次の論述は私のいらいらした気持ちを少し落ち着かせた。
「中国は再び北朝鮮政治や経済復旧の主な協調者となったようだ。北京は朝鮮半島和解の主要受益者となるかもしれない。ピョンヤンは中国の経済開放や振興パターンを学んでいるからだ。中国のビジネスマンは北朝鮮の企業が信頼を寄せる「仲人」となるかもしれない。「親分」としての中国はピョンヤンを外の世界とつなげる中で主な役割を果たし、特に中国の経済の力や影響力がますます世界に認められる状況の中では。
最終的に、朝鮮半島和解は東アジア地域の発展に動力を提供することになる。北朝鮮の再建は多くの努力が欠かせない。それと同時に、日本、韓国や中国にも大量の機会をもたらす。隣国の経済発展が停滞、あるいは遅くなっているとき、北朝鮮が隣国の共通の努力の目標となるのもかえって東北アジアの経済発展を進めることになる。」
エーリック・テイオーの見方に完全に賛成する。朝鮮半島は平和や発展が何よりも必要だ。それに、北朝鮮の経済改革や対外開放は朝鮮人民、周辺の国、東北アジア地域の政治、経済の安定した発展にも新しい景気をもたらすと思う。中国はそのとき東北アジア地域の平和と発展を促進する国であり、協調者や受益者でもある。
それなら、朝鮮民主主義人民共和国が準備しいてる新義州特別区も真っ先にその矢おもてに立つことになる。
「中国は新義州特別区を支持する。」と私は極度の興奮状態にある。
そのとき、携帯が鳴った。電話の中からなんと「関、どこにいるの。」と楊斌の声が届いた。
楊斌はほかの交渉代表と一緒にピョンヤンにいて、牡丹峰国家ホテルから電話をかけてきたことはわかっている。彼の部屋は二階にあって、そこに国際長距離電話がかけられるのに対し、ほかの部屋にはない。
私はちらっとベッドの横にある時計を見た。深夜の12時だが、ピョンヤンはもう9月20日の朝1時だ。
彼は先に沈陽オランダ村にある私の別荘に電話をかけた。が、私は別荘を出てから4日間もあった。
「北京にいるんだぞ。まだ寝てないんで、」と返事をした。
電話の中から楊斌の興奮の声がこっちに届いた。「基本法は朝鮮議会で通過したぞ。もうすぐニュース発表会が開かれる。明日のあさ、早く飛行機で沈陽に行って。私は指令を出した。朝鮮外務省は沈陽駐在領事館にも知らせた。招待局もおまえのために準備ができた。この2、3日でぜひピョンヤンに来てな。」
それを聞いたら、胸をやっとなでおろした。荷が下りたような感じで、体が軽くなった。私たち数ヶ月間の努力はやっと実った。私がオランダ村で受けた不公平の待遇と疑いさえも今時どこかに消えてしまったようだ。
「わかった。明日の朝、沈陽に行くよ。」と答えたら、携帯の電源を切った。
 その夜、私はいろいろと考えた。
9月20日午前中11時、搭乗の中国国際航空の便は定刻に沈陽桃仙空港に着陸した。オランダ村からは迎えの車がとまっていた。
しかし、それからの数日間や数十日間、私は相変わらず不便なことにあった。いやな予感さえあった。
まず、オランダ村で招待部門の出国パスポート事務の担当者の段小紅は沈陽いなくて、丹東にいた。
だが、21日と22日、つまり土曜日と日曜日は朝鮮領事館の休みの日だ。パスポートの関連事項は月曜日まで待たなければならない。ひどいことに、北方航空会社はピョンヤンへの線路を取り消した。ピョンヤンへの便は水曜日の高麗航空会社にしかない。これらの状況から見ると、丹東で「川渡り許可証」を取り扱い、ピョンヤンから新義州への迎えの車を待つほかない。
その午後、私は車を丹東まで運転した。日が暮れかけて、丹東市区に入ったころはすでにすっかり暮れた。丹東のホテルまで着いたら、市政府にいる友達が見に来た。
「川渡り許可証」のことを聞いたら、「明日とあさっては休日で、来週の月曜日に許可証をもらっても、せいぜい新義州までいけるが、ピョンヤンにはいけないな。」といった。
丹東にいる段小紅に連絡を試してみたが、そのころ彼は沈陽への帰りの途中だった。
仕方がなく、とりあえず泊まって、友達と昔話をした。
土曜日、ピョンヤンと連絡をしたが、だめだった。
日曜日、私は沈陽オランダ村に帰った。 
月曜日の午前9時、段小紅にピョンヤンへのパスポートのことをできてもらったら、すぐまた丹東へ行った。運転手さんは140km/hのスピードで走った。鳳凰山につこうとするとき、携帯が鳴った。楊斌会長のアシスタントの何秘書がピョンヤンからかけたのだ。「会長は関先生がどこにいるかと聞いているんですが。」と言った。
「丹東に向かう途中で、鳳凰山にはついた。」と答えた。
「わかりました。後でまた連絡します。」といって、電話を切った。
車が町に入るところに、一人の女性がピョンヤンから電話をかけてきた。欧亜ピョンヤン農業会社の通訳と名乗って、ピョンヤンで私をみたことがあってといって、楊斌が今私の居場所を聞いているといった。
丹東の町に入ろうとするところで、私は丹東ホテルに泊まるという返事をした。
ホテルの部屋に泊まって、ロビーでくつろいだら、その女性の通訳からまた電話が来た。今度は鴨緑江をどうやってわたるかということを聞いたのだ。
「ピョンヤンへのパスポートの手続きは終わりました。ここの人に新義州まで送ってもらえますが、ピョンヤンへは迎えの車が必要です。」と言った。
「わかりました。会長に伝えときます。」とうれしそうな声で言った。
9月23日午後5時、楊斌は一部の交渉代表、欧亜会社副総裁や職員を率いて、ピョンヤン人民文化宮会議ホールに着いて、正式に協議書を締結し、新義州特別区基本法を発表する予定だ。たくさんの外国記者がこの目で歴史的な瞬間を捉えた。まもなく、全世界は朝鮮が新義州で特別行政区を設け、特別区長官はオランダ国籍の中国人である楊斌だということを知る。
9月24日午前10時ごろ、ピョンヤンにいる楊斌会長アシスタントの劉秘書から電話があった。「朝鮮側から新義州への迎えの車のことは難しそうだ。それに、ピョンヤン時間の今日午後5時、朝鮮最高人民会議は特別区長官宣誓儀式を行います。明日の25日午前中、会長は専用機で沈陽に帰ることになりました。どうも関先生がピョンヤンで宣誓儀式に参加するのは無理なようですが。」と漏らした。
「わかりました。明日沈陽に戻ります。」とすぐに答えた。
電話を切った。私は北京から沈陽へ、また丹東へと数日間もかけまわした。楊斌伝記の作家として、とうとう鴨緑江をわたり、ピョンヤンでこの歴史的な瞬間を見なかったのは残念で仕方がなかった。
25日昼ごろ、私は沈陽のオランダ村に帰った。
新義州特別区の成立式典や特別区長官宣誓は9月18日の夜に行われた。楊斌は電話で「溢星広報会社」の楊莹莹に国際メディアを集めてかならず22日までにピョンヤンに着くようにと言ってから、単独で鳳凰衛星テレビ局の曾子墨にも知らせた。「北京ガール」曾子墨は楊斌が国内外のメディアの疑問の声の中で、自ら取材グループを率いて沈陽のオランダ村で楊に取材をした。楊は鳳凰衛星テレビ局の取材は比較的に客観的で、公平妥当だと考えて、曾にもいい印象を持ったのだ。
曾子墨はその後の報道のなかで彼女がピョンヤンに行った理由に触れた。
鳳凰衛星テレビの曾子墨などが楊斌の第四のおばさんである楊風林とピョンヤンで一緒にとった写真だ。
「9月18日深夜、ピョンヤンからの電話を受け、朝鮮は新義州特別行政区を設置し、立法、行政、司法の三権分立を実施することになり、香港で上場した会社―欧亜農業の会長の楊斌は新義州特別行政区のはじめての行政長官となることを知った。」
ここで、曾子墨は一つの勘違いをした。つまり、楊斌は「行政長官」ではなく、「特別区行政長官」だということだ。長官のしたに、立法、行政、司法の三権に分けて、楊斌は特別区長官兼行政長官だ。この点については、勘違いした人はたくさんいる。同じことだと思う人もいる。
「9月22日、私たちは金鹿航空から借りてきた私用チャーター便で香港からピョンヤンにいった。同行のものはCNN、BDC、AP通信社、ダウジョーンズ、「南華朝刊」や「タイムズ」などの国際メディアがある。」
私の知っているところでは、曾子墨などの記者が乗った金鹿航空から借りてきた私用チャーター便は楊斌が一年中借りきったものだ。彼は合わせてこのような小型公務機を二台も借り切った。香港、マカオ、沈陽、ピョンヤンなどのところを往復するときや、楊斌代表団の一部の代表が沈陽からピョンヤンまで行くときさえ、この二台の小型専用機に乗ったのだ。道理でその後、曾子墨などが香港からピョンヤンに行く途中、8時間もかかったという。朝9時から離陸し、夕日の輝きが西の空を染めるとき、やっとピョンヤン順安空港に着いたのだ。
ついに「遠く神秘」の朝鮮の国土に踏んだとき、この記者たちは興奮するとともに、微妙な気持ちを抱えているものだ。なぜなら、「あの土地でどんなことが起こっても、たくさんの注目を集めるからだ。」⑤
だが、これらの外国記者は税関で厳しい検査を受けた。携帯は残されて、一枚の紙しか手に入らなかった。税関からは彼らが朝鮮を発つときは、その一枚の紙で自分の携帯を取り戻すと約束した。
それから、彼らは朝鮮側の案内のもとで、車で順安高速道路を走って直接町に入って、大通りを出ることなく高麗ホテルまで行った。数日間前、日本の首相小泉純一郎が朝鮮を訪問するとき、日本政府連絡本部、日本外務省報道官、それにヨーロッパや日本の記者はここに泊まっていた。これはピョンヤンの二つ目の対外ホテルだ。一つ目はここから遠くない羊角島ホテルだ。
鳳凰衛星テレビの曾子墨のピョンヤンの対する第一印象は「きれいで純粋」な都市だ。曾子墨がたくさんの国際メディア記者と一緒にピョンヤンに行くひ、つまり9月22日、多数の世界の主要通信社やテレビ局、新聞は途切れ途切れ朝鮮が新義州で経済特別区を設ける情報やコメントを発表した。
「AFP通信社北京9月22日電」北朝鮮は辺地地域を「特別行政区」にする。
アナリストによると、この行動は世界での最後の未開の巨大な市場が開放に歩むことを表し、それが中国の南部都市深圳の20年前にやったことと同じかもしれない。
新義州は中国と北朝鮮をとおり、黄海に合流する川の西側にあり、北朝鮮対外貿易の主な通路で、橋で中国の丹東市とつながっている。
ピョンヤン方面はこの土地に開発、利用と土地管理の権利を与え、当地の企業の雇用活動(北朝鮮人)を励ますと発表した。
オブザーバーから見ると、北朝鮮労力の雇用可能は特に人々の目をひきつける。この政策のメリットにたくさんの外国投資家が気づいていくことになる。
北朝鮮が新義州を特別行政区にすると発表したら、新義州を中国の深圳を比べる人がたくさんいる。後者は20年間で小さい漁村から現代的で、高いビルに囲まれた都市になった。
新義州を特別行政区にするという考えは最初北朝鮮最高指導者の金正日が出したものだ。金氏は二度もの中国への訪問の間、中国経済の急速な発展に深い印象を残したという。
「韓国タイムズ9月22日文章」タイトル:市場経済へ移行する北朝鮮のテスト-新義州
明らかなことに、ある形式の市場制度で経済を促進する必要があると北朝鮮は認識した。それに、ある程度で言うと、北朝鮮も世界に開放しようとした。
「新しい」経済体制をとる決心は一部の措置でますます浮き彫りになってきた。たとえば、量によって配給するという制度が廃止された。また、北朝鮮のトップも外国投資を誘致する政策のために演説をした。
実は、新義州を特別行政区にするというやりかたは北朝鮮が急に必要とする外国投資や技術で、発展している経済を支えるあらたな努力なのだ。
いろいろな面から見ると、この特別区の成立は確かにピョンヤンが新しい経済体制にどれだけまじめかを示した。この新しい経済体制はこの特別区にしか使わなくとしても。
 外交のほかに、新義州特別行政区は完全自治の地区として管理され、それなりの立法、行政や司法部門を持つようになる。
アナリストのいいかたでは、官僚主義の中央政府の管理から離れたから、ピョンヤンは新義州でビジネスをやるのに最大限のフレックスや自由を提供しようとした。
大学の教授徐東南は次のように言った。「中央政府の指導のもとの羅津―パイオニア開発区は明らかに外国の会社をここまでひきつけるためにはもっと自治的な体制が必要だということをピョンヤンに認識させた。」
9月23日、朝鮮政府は正式的に朝鮮民主主義人民共和国が新義州特別行政区を設け、特別区の開放政策を実施することを発表した。記者たちは一分の「ブレティン」を手に入れた。これは楊斌の顧問たちが朝鮮側代表団とともに作って、朝鮮当局の審査認可を経て配ったものだ。それははじめての新義州特別区の設置に関するブレティンだ。すぐ、このブレティンは記者から世界へ配布した。
ここで、「ブレティン」を写しとった。
ブレティン
朝鮮民主主義人民共和国の政令によって、新義州市およびその周辺地区で特別行政区を設置し、同時に独立の立法権、司法権や行政管理件を特別区に与える。国際共通の管理体制や経済制度を実施し、中央政府の関与は無効だ。朝鮮最高人民会議はすでに「新義州特別行政区基本法」を作成し、オランダ国籍の中国人楊斌さんを特別行政区長官に任命し、彼に新義州特別行政区準備委員会の組織権利を与える。また、それをもとに特別行政区政府を設ける。
朝鮮新義州特別行政区は東経124.20゜ 北緯41.10゜にあり、総面積は今の新義州市と大鶏島沿海地区を含めて132平方キロメートルだ。当地区では大型水中バースをはじめ、全面的な対外開放を実施する。発展目標は東北アジア地区で高度発達している経済センター、ハイテク技術産業、港加工業、ロジスティックス業、金融業や観光業を支えとした国際化地域になることだ。
新義州特別行政区では高度自由な経済貿易体制を作り、各国の作業員、貨物や資金の自由進出を保障し、各国投資家に特別優待の税収やほかの政策を設け、法律上で投資家が特別行政区での経済利益や特別区基本法律における各権益を充分に保障する。当地区の各政策は50年不動となる。50年後、朝鮮中央政府は引き続き新義州地区での各投資家の手持ち利益を保障する。
新義州特別行政区政府は文化、教育や衛生などの分野の全面的な発展に力をいれ、朝鮮国家主権や安全を侵害しないという前提の下で、各国投資家やビジネスマンのもともとのライフスタイルや文化習慣を尊重するとともにそれを許し、自由安心な国際的な出勤や生活条件を作り出す。新義州特別行政区政府が行政事務の処理するときは、廉潔で効率的で、公正、公平、透明の三つ原則を貫いて、社会秩序のよい投資環境を作り出す。また、各国のビジネスマンは朝鮮の当地住民と同じく法律上では平等だ。
新義州特別行政区の成立と建設は、朝鮮半島の平和と安定、東北地区の平和や安定、さらに世界の平和や安定にも役立つ。当地区の経済的な繁栄は周辺地区、さらに世界の経済発展に重要な貢献をする。
新義州特別行政区は世界各地から投資や商業活動に来る友人を心から歓迎し、繁栄の未来を作るために頑張りましょう。⑥
曾子墨は「社会主義を堅持し、主体思想を崇拝する国が改革や開放の道に来たとは」と感嘆した。ピョンヤンの今回の取材活動に参加した「南華朝刊」のイギリス人の記者であるオーニルはその後北京でこういった。「すごい。思ってもみなかった。その基本法は誰が作ったの。本当にすごい。」
午後4時ごろ、楊斌は代表団の馬寧、佟連発、王諾、それに欧亜会社副総裁の石軍、辺守捷、李剛などを率いて、先にピョンヤン人民文化宮に着いた。ここは朝鮮が国家レベルの会議を開くところで、普通江に面した三階の灰色のビルだ。昔、楊斌代表団がピョンヤンで朝鮮側と新義州特別行政区の会談をしたのもここだ。
もまなく、新義州特別行政区成立式典はここにおいて行われる。
午後5時ごろ、「基本協議書」サイン式は二階の小型会議ホールで行われた。楊斌はオランダ欧亜国際貿易会社の代表として、金勇術は朝鮮対外経済促進委員会の代表として、それぞれ協議書にサインした。今回の儀式に参加したのは楊斌の奥さんの潘朝蓉、馬寧、佟連発、王諾、石軍、辺守捷、周翔、李家華、傑克、王成貴などがいて、朝鮮側は金勇術、金東奎、許明奎などがいた。

朝鮮政務院副総理の趙昌徳は文化宮会議ホールで楊斌らにあった。写真では、彼が馬寧と握手しているところだ。
5時30分、朝鮮経済担当の副総理趙昌徳は人民文化宮会議ホールで就任を待っている楊斌らと会った。今回の記者会見に参加した曾子墨はこういうふうに楊のことを言った。「楊斌はいつもの白いTシャツの普段着を黒い背広、革靴や白い靴下に着替えた。2千万人の朝鮮人民と同じように、楊斌はかれのメンバーと胸赤いリーダバッジをつけた。新義州が徹底的に資本主義を実施するというのなら、この赤いバッジは人々にここは朝鮮で、社会主義の朝鮮で、主体思想を指導方針とした朝鮮だということを注意している。」
夜6時、楊斌は人民文化宮宴会ホールで朝鮮政府関係者や式典で取材活動をした外国の記者たちを招き、大きい宴会を開いた。中国新華通信社ピョンヤン支社首席記者の張錦芳、朝鮮駐在の「人民日報」首席記者の趙嘉鳴も宴会に参加した。楊斌の奥さんの潘朝蓉はオランダから宴会に参加に来た。彼女は副総理の趙昌徳のそばに座っていた。「潘朝蓉は赤いスーツを着て、その長年手当てしていた顔は楊斌の移り変わりを記録した黒い顔とは鮮明的な対比となった。」
宴会で、楊斌は乾杯の音頭を取った。「偉大なリーダー金主席の不滅のため、偉大なリーダー金正日将軍の健康のため、新義州特別区の成功や朝鮮民主主義人民共和国の繁栄のため、乾杯しましょう。」
宴会が終わった後、欧亜会社の職員は入り口に立って宴会に参加した人にプレゼントを配った。赤い紙袋の中には重い濃い色の衣服の生地だ。「朝鮮のお客さんのこのプレゼントに対する好きそうな様子ははっきりと彼らの顔や目に映っている。」
9月24日、午後。新義州特別区行政長官宣誓就任儀式はピョンヤンの万寿台議事堂で行われた。万寿台議事堂はピョンヤンの町の中心にあり、普通江と大同江のなかにある万寿台街に位置した。ここは朝鮮最高人民会議の所在地であり、国務活動や外事活動を行う場所でもある。
今回の宣誓就任儀式に参加した楊斌の法律顧問である佟連発教授は当時の情景を次のように描いた。「午後5時、私たちは楊斌とともに万寿台議事堂にいって、貴賓室で一休みを取った。朝鮮礼儀官は簡単に儀式のおおむねの順序を紹介してくれた。6時ちょうど、宣誓儀式が始まった。礼儀官は私たちを連れて、楊斌、馬寧、私、李家華、王諾、李鋼、石軍、辺守捷というふうに会議ホールに入った。」
「朝鮮最高人民会議常任委員会委員長の金永南はもう席について、入り口に向かって私たちが入場するのを見つめていた。金永南の右側に座ったのは副委員長楊亨燮、副委員長金英大、秘書金潤華や朝鮮最高人民会議常任委員らだ。私たちは会議ホールに入って、礼儀官に案内してもらい左側に沿って前に進んだ。楊斌をはじめ、私たちはそれぞれ金永南委員長と握手してから、金の左側にたった。」
礼儀官は「それでは新義州特別区行政長官宣誓就任儀式を始めます。朝鮮最高人民会議委員長金永南から、新義州特別区行政長官に任命書を授かっていただきます。」と発表した。
金永南は席をたち、まずは楊斌を朝鮮民主主義人民共和国新義州特別区行政長官に任命することは朝鮮最高人民会議委員会で通過したという政令を発表した。続いて、楊斌に任命書と特別区長官勤務証明書を授かった。

朝鮮最高人民会議委員長金永南が新義州特別区行政長官楊斌に任命書を渡した。

2002年9月24日、朝鮮最高人民会議副委員長楊亨燮は新義州特別区行政長官に任命されたばかりの楊斌と握手して祝った。
2002年9月24日、特別区長官任命式が終わって、朝鮮最高人民会議委員長金永南は楊斌らと一緒に写真を撮った。
それから、楊斌は任命書、勤務証明書を後ろに立っている個人通訳の金虎に渡して、金永南の向かいに立って、マイクロフォンの前で大声で宣誓した。「私は小さいころに孤児になって、肉親など持っていません。偉大な金正日将軍は海みたいな慈愛で、私に重任を任してくれました。将軍の大いなる関心のもとで、私は命にかけて恩返しをします。私はここで宣誓します。私は死ぬまで将軍の後につき従い、どんな困難があっても、将軍の息子や戦士になったつもりです。私の後世は朝鮮とともに生存し、死にます。」
楊斌は宣誓を終えて、前に行って朝鮮最高人民会議委員長、副委員長、常任委員長らと握手した。
儀式は簡単で、20分と短かった。儀式が終わって、花に囲まれた金正日の巨大な油絵の前で、人々は一緒に記念写真をとった。ここまで、新義州特別区行政長官の公式儀式は全部終わった。
宣誓就任儀式後、朝鮮最高人民会議副委員長楊亨燮は10人も足らない小型宴会を開いた。楊斌本人以外に、馬寧、王諾、佟連発もいて、ほかはすべて朝鮮側のトップ人物だ。楊亨燮副委員長は挨拶で、新義州が復興の都市、友情の都市、平和の都市になってほしいといった。その後、馬寧は筆者にこのことを言及したこ時はこういった。「私たちの理解では、楊亨燮副委員長のこの言葉は朝鮮政府が新義州に対する公式の定義だと思う。復興の都市:それは国内政治から見て、新義州が国内経済復興や改革開放事業に貢献できてほしい。友情の都市:それは中朝の友情からみて、新義州を中朝友情の象徴にしてほしい。平和の都市:新義州の発展や繁栄は朝鮮半島の安定や東北アジアの平和に役立つ。」⑦
9月25日、楊斌は彼の顧問たちと私人専用機で沈陽に帰った。
ここまで楊斌の神話の最後の一幕は劇的にクライマックスを迎えた。
注釈:
①②は王諾が筆者に言ったこと。
③は佟連発と筆者の談話
④このことは王諾が紹介してくれたものを主とした。筆者はその後佟連発らとも確かめた。
⑤詳細は曾子墨の「朝鮮新義州報道」をみてください。
⑥官報は楊斌の事務室が提供してくれたものだ。
⑦宣誓儀式の過程は王諾、佟連発、李鋼、周翔らが提供してくれたものだ。


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